図書館ー2

トルストイ、『アンナ・カレーニナ』(その1)

 『アンナ・カレーニナ』は、『戦争と平和』と並ぶトルストイの代表作。1873年から執筆を開始。1875年から雑誌『ロシア報知』に連載され、1877年に単行本の初版が刊行されました。

 アンナは、絶世の美女で、ペテルブルク社交界の花形。20歳年上の政府高官アレクセイ・カレーニンの妻で、8歳になる一人息子セリョージャがいます。
 ヴロンスキー(旧訳ではウローンスキイ)は、伯爵で、貴公子のような青年将校。
 オブロンスキー(愛称スティーワ)は、アンナの兄。皆から好かれる好人物。公爵。妻のドリーは、シチェルバツキー公爵の長女。
 キティ(カテリーナ・シチェルバツカヤ)は、ドリィの末の妹。ヴロンスキーを思慕しています。正式なプロポーズはしていないものの、2人は公認の仲。
 リョーヴィン(旧訳ではレービン)は、オブロンスキーの友人。地方の純朴な地主で貴族。農地改革をしようとしています。

 物語のはじまりは、オブロンスキー家のごたごたです。オブロンスキーの浮気がドリーにバレて、夫婦仲は険悪になってしまいました。
 仲介役で呼ばれてモスクワにやってきたアンナは、2人の関係修復に成功。
 舞踏会で、アンナヴロンスキーに出会います。2人が踊るさまを見たキティは、ヴロンスキーがアンナに奪われたことを悟ります。そして、そのあとで健康を害してしまいます。
 アンナはペテルブルクへ帰りますが、ヴロンスキーはアンナを追って同じ汽車に乗り込んできます。

 1年後、二人の関係は急速に深まり、アンナはカレーニンにヴロンスキーとの関係を告白してしまいます。
 しかし、カレーニンは、世間体を気にして離婚に応じません。
 アンナはヴロンスキーの子供を出産後、重態となります。カレーニンは、寛大な態度でアンナを許します。
 ヴロンスキーはアンナを失うことに絶望し、ピストル自殺を図るのですが、未遂に終わります。退役し、回復したアンナを連れて外国に出奔

 一方、リョーヴィンは、病気の癒えたキティと結婚し、領地の農村で新婚生活を始めます。2人は子供をもうけ、幸せな家庭を築きます。

 帰国したアンナとヴロンスキーは、ヴロンスキーの領地に住みます。カレーニンと離婚せずにヴロンスキーと暮らしているので、社交界からは締め出されます。離婚話は進みません。
 ヴロンスキーは、彼女の態度に嫌気が指し、しだいに彼女を遠ざけるようになります。境遇に不満なアンナと領地の経営に熱中するようになったヴロンスキーとは次第に気持ちが離れ始め、アンナはヴロンスキーの愛情が他の女性に移ったのではないかと疑うようになります。
 絶望したアンナは、自ら列車に身を投じて命を絶ちます。
 生きる目的を失ったヴロンスキーは、私費を投じて義勇軍を編成し、トルコとの戦争に赴きます。

  『アンナ・カレーニナ』には、一度読んだら忘れられない印象的な場面が、いくつもあります。

 【第1篇、18】 アンナが最初にヴロンスキーに逢うのは、1872年の冬。モスクワにあるペテルブルクです(モスクワにあるのがペテルブルク駅であり、ペテルブルクにあるのがモスクワ駅なので、混乱します)。アンナが乗った列車にヴロンスキーの母親も乗っており、2人は旅行中話しあっていたのです。このとき、駅で列車が人を轢いてしまう事故が起こり、アンナは不吉な予感を持ちます。

 【第1篇、22】アンナのモスクワ滞在中に舞踏会が開かれ、アンナもキティも参加します。
 キティの美しさに、誰もが驚嘆するのですが、ヴロンスキーは彼女をワルツに誘うのを忘れてしまったかのようです。

 【第1篇、23】キティは、ある退屈な青年と最後の踊りを踊っていたとき、アンナとヴロンスキーが踊っているのを目撃してしまうのです。
 
 "彼女は突然、まるっきり新しい思いがけない女になっているアンナを発見したのであった。彼女はアンナの中に、自分にもよく覚えのある、成功から来た興奮の色を観て取った。彼女は、アンナが自分の醸し出した大酔歓喜の美酒に陶然と酔っているのを目撃した。彼女はこの感情を知っていた、またその特徴をも知っていた、そしてそれをアンナの中に見たのである。 ー 彼女はアンナの眼の中に揺らめき燃えている火花を見た。自然にその唇を引き歪める幸福と興奮の徴笑も見た。またその動作の一きわ目に立つ嬌艶さと、確かさと、軽快さとをも観てとった。
 ≪誰がその原因だろう?≫と彼女は自分に訊ねて見た。≪みんなの人のせいだろうか?それとも只一人のためかしら?≫”

 ”≪いいえ、あの方を酔わせたものはみんなの人の嘆賞ではないのだ。そして、そのただ一人の人は ー もしやあの人では?≫ 彼が話しか けると、そのたびに、アンナの眼には喜ばしげな火花が閃き、血よりも赤い唇は幸福の微笑にほころびる。彼女はそうした歓喜の徴候を、表に現わすまいと自分を制しているもののようだった。が、そうした徴候は自ら彼女の顔に浮び上って来るのだった。≪だけど、あの方はどうなのかしら?≫ キッティは彼の顔を眺めた。彼女は思わずはっとなった。アンナの『顔の鏡』にありありと写っていたそれと同じものを、キッティは彼の中にも見出したのだ。あのいつもの穏やかなどっしりとした態度や、またその飽くまで 落ち着いた顔の表情は、どこへどうなってしまったのだろう? 影も形もあらばこそ、彼女の方へ振り向く毎に、彼 は心持ち首を傾げて、まるでその前に跪くことを願っているもののような態度を示すのである。そしてその眼の中には、従順と恐怖の表情ばかりがいっぱいになっているのだった。”
(原久一郎訳、新潮社、新版世界文学全集)

 アンナは、舞踏会の終わりに、「明日ペテルブルクに帰る」とヴロンスキーに告げます。そして、晩餐会に残らずに帰ってしまいます。
 
 【第1篇、30】翌日、列車に乗り込んだアンナは、≪よかった、明日からは私の穏やかないつもの生活が今までどおりに送られていく≫と安堵します。
 途中の駅で停車したとき、彼女は、「外気を吸いたいと思って」プラットフォームに降り立ちます。
 車室に戻ろうとしたとき、軍人の外套を着た男が彼女の傍らに現れて、ゆらゆらしている灯火を遮りました。彼女はすぐに、それがヴロンスキーの顔であることを知ります。

〝 「どうしてお帰りになるんですの?」という彼女の問いに、彼は答えます。
 「私はただもうあなたのいらっしゃるところにいたいと思って、それでついて参ったのです。」”

 男なら一度は吐いてみたい台詞でしょう。そのつぎに起こったことを、トルストイは、つぎのように描写しています。

 ”丁度このとき、風はその障碍物を征服しつくしたかの如く、どッと列車の屋根から雪を吹き下ろし、もぎ取られたブリキの片を吹き飛ばした。と、前の方では野太い汽笛が物哀れに陰欝に吼え出した。風雪の物凄さが今や彼女にはますます美しく見えて来た。彼女の心が望んでおり、理性が怖れていることを、ヴロンスキーは言ってのけたのである。”

 このは、どの辺りにあるのでしょうか?私はグーグルマップでモスクワからペテルブルクまでの路線を丹念に調べたのですが、いまだに分かりません。

 【第1篇、31】ペテルブルクから戻ってきたアンナをモスクワ駅で迎えるカレーニンをヴロンスキーが見つける場面があります。

 “”≪ああ、そうだ!良人だ≫
 彼女に夫のあることは知っていたが、何だかこの世の人のような気がしなかった。〝
 
 この場面について、人妻を愛したことのある人の感想。「この世の人のような気がしなかった」という簡潔な描写ほど、適切なものはないそうです(念のため繰り返しておきますが、私の感想ではなく、私の友人の感想です)。

 ペテルブルクでヴロンスキーはアンナを追い回し、2人の関係は深まっていきます。

 1年後、彼らの人生が急激に変わる時点で、緊迫した描写があるのですが、これについては、ここではなく、別の場所で書きたいと思います。

 【第2編、29】有名な競馬の場面。皇帝も臨席する士官たちの競馬の大会が開かれます。競馬場には上流階級の人々が集まっています。
 4000メートル障害物競走の最後、落馬者が続出します。最後の場面でヴロンスキーも落馬してしまい、アンナは良人の面前であるにもかかわらず、大声であっと叫んでしまいます。
 帰りの馬車の中で、カレーニンは、「わしは是非あんたに言わなければならないのだがね・・・」と切り出します。
 「多分わしが思い違いをしているのだろうとは思うがね」という良人の言葉に、アンナは、「けっして思い違いをしてはいらっしゃいません」と答えます。
 「私はあの人の恋人なのです。・・・あたしはあなたが憎らしくて憎らしくて・・・どうぞ、もうどうなりと勝手にしてください」

 ところで、私はこの本を読んでいた頃、渋谷のある商店のウインドウでルノワールのイレーヌ・カーン・ダンヴェールの絵を見つけ、「これこそキティーだ」と考えました。小さなウインドウに商品は置いてなく、この絵だけがあったのです。


 この絵は、今ではかなりポピュラーなものになっていますが、その当時は日本では全く知られていませんでした。画集を探しても見つかりませんでした。見つけたのは、だいぶ後になったのことです。

 『アンナ・カレーニナ』はずいぶん映画化されました。アンナ役は、グレタ・ガルボ、ヴィヴィアン・リーから始まって、ジャクリーン・ビセット、ソフィー・マルソー、キーラ・ナイトレイなど。
 私は、1本も見たことがありません。アンナのイメージを傷つけられたくないというのが、1番大きな理由です(ついでに言えば、同じ理由で『(戦争と平和』の映画も見たことがありません)。2012年の映画のキーナ・ナイトレイがぎりぎり許容範囲というところでしょう。
 なお、ロシアの画家イワン・クラムスコイの『見知らぬ女』あるいは『忘れえぬ女』がアンナだとされることが多いのですが、私のイメージはまったく違います。

 『アンナ・カレーニナ』は、バレエにもなっています。

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