図書館ー2

司馬遼太郎、坂の上の雲

 日本の歴史は、日本海海戦の日にピークに達し、それ以降下る一方だと私は思っています。この見方によると、司馬遼太郎『坂の上の雲』で描かれているのは、日本の歴史のクライマックです。この海戦で負けていたら、日本の歴史は悲惨なものになったでしょう。
    しかし、ひねくれた見方をすると、あれほどのパーフェクトゲームでなければ、日本人は自己陶酔に陥ることはなく、したがって、その後の歴史はもう少しましなものになっていたのではないでしょうか?

◇ロシア帝国の大艦隊が「ヘンナカタチ」になってしまった
 接近してくるバルチック艦隊が、一艦また一艦と濛気を破って視野に入ってきたとき、三笠艦橋に立つ連合艦隊司令長官東郷平八郎は、「ヘンナカタチダネ」とつぶやきいました。
 ロシア帝国の大艦隊が「ヘンナカタチ」になってしまったのは、日本の巡洋艦を追い払らおうとして陣形が乱れたためですが、基本的には、対馬海峡に現われたときすでにふらふらになっており、戦闘に臨む最低条件すら満たせない状態になっていたためです。
 それは、イギリスの執拗な妨害によります。リバウ軍港を出航した直後から、世界一の操艦技術を持つイギリス海軍の高速駆逐艦が接近して進路を妨害しました。
 半年以上にわたる地球半周の大航海の途中で、寄港できたのはフランス領であるマダガスカルとベトナム・カムラン湾くらいしかありませんでした。あのイギリス人に邪魔されては、精根尽き果てたことでしょう。

◇自信あふれる有能な指導者
 バルチック艦隊大回航の苦難を、東郷がどの程度知っていたのかは明らかでないのですが、陣形を見て、一瞬のうちに敵艦隊の状況を把握したことは間違いありません。
 だからこそ、「敵前大回頭」の決断ができました。これは、大胆不敵で非常識極まりない、一か八かの大博打です。旋回中は、こちらからは発砲できず、相手から見ればほとんど静止状態の標的になります。先頭艦から一隻づつ撃沈され、日本艦隊が消滅してしまう危険が十分ありました(実際、ロシア側では、「東郷狂せり」と歓呼があがった)。しかし、回頭に成功すれば敵艦隊と並進できるので、砲撃精度に自信がある日本艦隊としては、敵艦隊を殲滅するまで砲撃を続けられます。東郷には、回頭が成功する十分な成算があったに違いません。「東郷の右手が高くあがり、左へむかって半円をえがくようにして一転した」と司馬は描写しています。

 こんなに自信あふれる有能な指導者を、日本はその後一度も持つことはありません。今後も、未来永劫にないでしょう。だからこれは、日本が頂点をきわめた瞬間の光景なのです。日本人が読んで泣いてしまうのは、当然です。
 それに、司馬は「小ざかしき猿どもを懲らしめよ」という皇帝ニコライ二世の言葉を何度も引用して、日本人の敵愾心をいやがうえにも煽ってくれます。だから読者は、「乗せられている」と分かっていても、大喜びで乗って、大泣きしてしまうのです。こんなに泣ける本はないでしょう。とても人前では読めない本です(なお、海戦の報道は、1905年6月2日付のニューヨークタイムズにあります。驚嘆すべき電子新聞の威力!)。

 私の経済学の恩師ヤコブ・マルシャックは、ロシア生まれのユダヤ人で、革命後のグルジア共和国メンシェビイキ政権で副首相を務めた人です。彼が私に発した最初の質問は、「オオヤマを知っているか?」というものです。一瞬何のことか分からなかったのですが、「日露戦争がロシア革命の引き金になった」という説明を聞いて、何とも誇らしい気持ちになりました。これは、1968年のことです。

「奮励努力だけでは勝てない」と教えるべきだった
 ところで、『坂の上の雲』を読んでわれわれは泣くのですが、本当のことを言えば、泣いてばかりはいられないのです。
 なぜなら第1に、日本海海戦の勝利は、半分くらいはイギリスのおかげだからです。私は『坂の上』を読んで以来、「イギリス人は嫌いだけれど、足を向けては眠れない」と思っています(海戦が日本の完勝にならずバルチック艦隊がウラジオストックに逃げ込めば、大陸の日本陸軍は孤立し、日本は降伏した可能性が高いのです。そうなれば、われわれはシベリアの流刑地で生まれることになったでしょう)。
 もちろん、狡猾なイギリス人のことですから、親切心でやってくれたわけではありません。国際情勢の展開を睨んだ冷徹な計算がありました。しかし、列強のパワーバランスを読んで日英同盟を締結した日本外交も、相当なしたたかさです。これが勝利の第2の要因です。
 つまり、日本海海戦は、単なる軍事力の勝利ではなく、日本の総合力の勝利だったのです。いま風の言葉で言えば、ハードウエアの勝利ではなく、ソフトパワーの勝利です。
 しかし日本人は、そうした一切を忘れ、軍事力の礼賛と精神主義に走りました。実力以上の勝利だったのに、ポーツマス条約に不満を抱いて焼打ち事件を起こし、東郷を神格化して神社さえ建てた。
 日本海海戦の名文句として後世に残されたのは、余裕と合理性に満ちた東郷の言葉ではなく、「皇国の興廃、此の一戦に在り」という、Z旗の緊張しきった精神訓令です。本当は、「奮励努力だけでは勝てない」と教えるべきなのですが。
 私は、第2次大戦のことだけを言っているのではありません。「軍事力」を「技術力」と置き換えれば、いまも少しも変わらぬ日本の姿です。例えば、日本の自動車メーカーがアメリカ市場を席巻できたのは、ひとえに円安のためでした。しかし日本人は、それを「世界に冠たる日本のモノヅクリ技術の成果」と勘違いし、「是が非でも製造業を守らなければ」と意気込んでいます。
 日本海海戦は、パーフェクトゲームでした。しかし、あまりに完璧な勝利だったため、日本人は罠に落ち込んだのです。100年以上経っても、まだ抜け出せません。

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