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『経験なき経済危機』:第3章の2

経験なき経済危機』が、ダイヤモンド社から刊行されます。

10月28日から全国の書店で発売されます。

これは、第3章の2全文公開です。

2 コロナが暴いた政治家の資質

危機にあたって国民の先頭に立ったエリザベス女王
 コロナで、さまざまなことがあからさまになった。政治家の資質もそうだ。
 国が存亡の機に直面したとき、先頭に立って国民を奮い立たせた指導者は、歴史上、何人もいる。
 1588年7月、イングランド沖にスペイン無敵艦隊が現れ、イングランドに神の鉄槌を下すべく、その威容を示した。イングランドの女王エリザベスは、捕らえられてスペインに連行され、宗教裁判で有罪とされて、火炙りにされることを覚悟したに違いない。
 彼女は、鎧に身を固め、危険を冒して最前線に赴き、全軍の先頭に立った。そして、歴史に残る演説(ティルベリー演説)を行なった。

 わが愛する民よ(My loving people)。
 あなたたちの中で生き、そして死ぬために、戦いの熱気の真っただ中に私は来た。たとえ塵になろうとも……。
 わが神、わが王国、わが民、わが名誉、そしてわが血のために!

 これを聞いた兵士たちは、たとえ死んでも悔いはないと思ったに違いない。

ドイツ国民の心を揺り動かしたメルケル
 コロナ危機においても、明確な哲学に基づき、感動的な言葉で国民に犠牲と協力を求め、政府が行なうことを約束した指導者がいる。
 ドイツ首相のメルケルは、前述した2020年3月18日の演説で、実に感動的で、しかもはっきりしたメッセージをドイツ国民に伝えた。
 まず、「すべての国民の皆さんが、この課題を自分の任務として理解されたならば、この課題は達成される、私はそう確信しています。ですから、申し上げます。事態は深刻です。(中略)第2次世界大戦以来、わが国においてこれほどまでに一致団結を要する挑戦はなかったのです」と、問題の深刻さを指摘した。
 そして、つぎに、「公的な生活を中止すること」が必要だとした。ただし、「理性と将来を見据えた判断を持って国家が機能し続けるよう、供給は引き続き確保され、可能なかぎり多くの経済活動が維持できるようにします」とした。
 さらに、「経済的影響を緩和させるため、そして何よりも皆さんの職場が確保されるよう、連邦政府はできるかぎりのことをしていきます。企業と従業員がこの困難な試練を乗り越えるために必要なものを支援していきます。そして安心していただきたいのは、食糧の供給については心配無用であり、スーパーの棚が1日で空になったとしてもすぐに補充される」と、政府の役割を約束した。
 最後に、「状況は深刻で未解決ですが、お互いが規律を遵守し、実行することで状況は変わっていくでしょう」とした。
 いま国家の指導者がなすべきことは、「この危機と恐怖に耐え抜いてほしい、私も全力を尽くす」と自分の言葉で訴えることだ。メルケルのこの演説は、すべてのドイツ国民の心を動かすものだった。
 こうした指導者を持つドイツ国民を、心底羨ましく思う。
 言葉だけではない。ドイツの医療は機能し続けており、死亡率は目立って低い。

国民の恐怖にまったく関心のない権力者
 それに比べて、わが国の首相は何をしたか?
 2020年4月12日、「私は犬を抱いて自宅で寛いでいるよ」という動画が、「うちで踊ろう」という楽曲とともに、SNS上に流された。
 私は、「これが本当に首相の投稿であるはずはない。悪質なフェイクだ」と思った。「何カ月も前に撮影されたものを、首相を中傷するため、誰かが、いまそうしているかのように流したのだ」と思った。
 しかし、これは本当に首相が流したものだった。ありえないことではないか?
 われわれは、いま極限の恐怖の中にいる。医療が崩壊すれば、コロナに感染したらどう扱われるか分からない。これは、底知れぬ恐怖だ。
 持病が悪化しても、怖くて病院に行けない。医療関係者たちは、医療崩壊寸前の現場で必死の努力を続けている。
 在宅勤務をせよと政府は言っているが、満員電車で通勤しなくてはならない人が大勢いる。収入が激減したので、これから生活を維持できるかどうか分からない。
 メルケルが正しく指摘しているように、これは、第2次世界大戦以降、経験したことがなかった事態だ。
 そうした中で、最高権力者とその周りの人々だけが、この恐怖から逃れている。コロナは誰にも平等というが、感染した場合の扱われ方は違う。彼らは、熱が出ても、保健所に連絡して指示を受ける必要はないだろう。そうしなくとも手厚く看護される。そして、所得減少は、2割の歳費削減だけだ。
 国民が極限の恐怖に直面する中で、恐怖をまったく感じていない人たちがいるということがよく分かった。
 私の友人が2月下旬に言った。「コロナに感染するなら早いほうがよい。入院できるから。医療が崩壊してからでは、放置される」。そして、「権力者はこの恐怖を理解できないだろう」と言った。あまりに恐ろしい予言なので何とか忘れようとしていたが、思い出してしまった。
「うちで踊ろう」というのだが、いまの日本で踊りたくなる人が、いったい何人いるのだろう?
 国家が破綻するかもしれないという事態において、犬を抱いて寛いでいられる人がいる。それは、厳然たる事実であり、いかんともしがたい。しかし、塗炭の苦しみに喘ぐ国民にその姿をわざわざ見せる必要はない。暴動が起きないのは、暴動を起こす余裕さえ国民が持っていないからだ。
 あのトランプでさえ、自らを戦時大統領だといっている。エリザベスやメルケルには比べるべくもないが、それでも、寝食を忘れて危機に対応するというメッセージを国民に送っているのだ。世界の指導者の中で、「私は、いま、自宅で優雅に寛いでいます」と公言した人がいるだろうか?

経済対策:国は国民を見捨てた
 この首相が率いる政府は、コロナ感染に対して、何をしてくれたか?
 2020年2月16日に不要不急の会合の自粛要請が行なわれ、2月27日には安倍晋三首相が小中高校の休校要請を表明した。
 しかし、休校措置の効果が疑わしいことは、素人でも分かる。両親が働いている場合には「学童保育」に任せる親が多いが、学童保育は、学校より密集した空間が多いといわれる。この場合には、かえって感染の可能性を高めてしまうわけだ。
 この点は、国会でも議論になった。そして、満足のいく回答が得られなかった。事実、栃木などいくつかの県が休校しなかった。休校要請が本当に必要な措置だったのかどうかは、大いに疑問だ。
 3月30日にオリンピック延期が決定された。このときまで、日本政府は7月にオリンピックが開けるとしていたのだ。
 4月7日に東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言が発令された。同日、新型コロナウイルス感染症緊急経済対策が閣議決定され、まず、布マスクを全家庭に配ることが決まった。
 何のために配るのか? 布マスクで感染を避けることはできないといわれているので、これで何ができるのか? 心理的な安心感か?
 これに必要な費用は466億円といわれる。やるべきことはいくらでもあるのに、それに充てる財源が、466億円消えてなくなる。
 しかも、実行を強いられる現場には大きな負担になる。そのマイナス効果のほうがずっと大きい。役所の下っ端で働いた経験からいうと、やりがいのある仕事なら、どんなにつらくても耐えられる。しかし、馬鹿げた仕事で深夜遅くまで振り回されるのは耐えられない。
 また、現金給付30万円を行なうこととされた。しかし、この制度は悪用される危険があった。悪徳経営者なら、所得制限の条件を満たす従業員の給与を減らす。現金給付を受け取らせて、その穴埋めをさせる。これだけで、巨額の収入が得られる。減収証明書の偽造対策を講じるというが、雇い主が給与を実際に切り下げ、被用者が30万円もらい、あとで山分けするのは、偽造ではない。これにどう対処するのかという問題があった(なお、30万円構想は、補正予算に計上されたあとで撤回され、10万円の特別定額給付金になった。この効果については第4章で検討する)。
 休業要請は自治体に任せたが、政府は範囲拡大には反対した。そして、「強制でなく要請だから補償はしない」とした。
 営業自粛しても、家賃、光熱費、維持費は払う必要がある。もちろん、従業員の給与もある。関係者まで含めれば、収入減少者の範囲は極めて広くなる。
 マスクは配ったし、10万円も配った。営業自粛要請や協力金の支給は自治体がやってくれる。政府は補償金は出さない。首相は自宅で寛ぐ。
 これが、日本政府が発した明確なメッセージだ。要するに、国民は捨てられたのだ。こうしたメッセージを明確に出している国は、他にない。
 繰り返すが、メルケルは「企業と従業員がこの困難な試練を乗り越えるために必要なものを支援していきます」と約束したのだ。



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