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『超「超」勉強法』 潜在力を引き出す プリンキピア  第2章の1

『超「超」勉強法』(プレジデント社)が3月31日に刊行されました。
これは、第2章の1全文公開です。

第2章 潜在力を引き出すプリンキピア

1 成績は能力で決まるのではなく、勉強のやり方で決まる

真面目に勉強しているのに、なぜ成績が上がらないのか?

学校の成績が悪い学生は、頭が悪いのではありません。やり方を間違えているのです。人間の能力にそれほど差があるわけではありません。成績に差が生じるのは、方法に違いがあるからです。
 成績は勉強時間に比例しません。それどころか、勉強の努力にも比例しません。同じ勉強時間、同じ努力であっても、努力の配分の仕方によって、結果には大きな差が生じてしまうのです。すべての努力が同じように報われるわけではありません。
 だから、真面目で勉強時間の多い学生が成績が良いとは限りません。真面目なために、かえって成績が悪くなってしまうこともあります。
学校での勉強に関する限り、正しい方法で勉強すれば、必ず良い成績を上げられます。なぜなら、学校教育では、人並み外れた創造力を要求しているわけではないからです。それどころか、そもそも創造力を要求しているのですらありません。できあがっている学問の体系を、定型通りに習得することを要求しているだけです。
 第1章では、数学について勉強の方法を述べました。自分で解き方を考え出そうとするのでなく、解き方を覚えてそれを問題に当てはめるという方法です。本章で述べるのは、勉強方法の第2点目であり、「重要な点に集中せよ」ということです。

できる学生は平板に勉強していない

 真面目な学生は、取り落としがあってはいけないと思って、すべてを同じようにカバーしようとします。しかし、これでは努力に見合った成果を上げられません。それどころか、成績が上がりません。この学生は、真面目なのだけれども、やり方を間違えているのです。
 取り落としがないようにまんべんなく勉強すれば、安心感を持てるかもしれません。しかし、その安心感は偽物なのです。こうして、真面目な学生ほど成績が悪くなるという結果になってしまいます。
 それに対して、できる学生は、「何が重要か」を把握しています。そして、そこに努力を集中しています。のんべんだらりとやっているのでなく、メリハリがあります。これは、「急所」「ツボ」「押さえどころ」「勘所」「コツ」などと呼ぶこともできます。「幹と枝葉の区別」といってもよいでしょう。勉強ができる学生は、幹を押さえるのが上手な学生です。まず重要なことを勉強し、時間が余ったら、残りに手をつけていきます。
 勉強が苦手な学生は、何が要点か分からず、膨大な情報の中で途方に暮れています。勉強のコツは「集中すること」なのです。すべてを平板に勉強する学生と、重要なところに努力を集中する学生とでは、勉強の成果に大きな違いが出てきます。
 これは、社会人になってからの仕事についてもいえます。重要でないことにエネルギーを使っているために、成果が上がらない人が多いのです。

「ヤマをかける」のとは違う

   コツコツと真面目に勉強するのは、もちろん重要です。しかし、それで成功するとは限りません。「どこに努力を集中するか」が重要なのです。
   能力のある人が真面目に勉強しても、方法を間違えれば成績は上がりません。要領よくスマートに勉強する学生が成功するのです。
   入学試験であれば、100点を取れなくとも合格できます。そして、毎年必ず一定数の合格者がいます。合格者の中に入ることが目的なのであって、すべての問題に完璧な答えを書くことが目的ではありません。目的をこのように限定すれば、それをクリアするのは、あまり難しいことではありません。
   逆に言うと、時間をかけて真面目に勉強しているにもかかわらず、いっこうに成果が上がらない学生は、努力する対象を間違えているのです。成績の悪い学生は、怠け者とは限りません。勉強法が下手なのです。勉強ができるかできないかの差は、まさに、ここにあります(そして、この点にのみあります)。

「重要でないことを無視してよい」のではない

  ここで、つぎの点に注意してください。
  第1に、前項で述べたのは、「ヤマをかける」のとは違うということです。
「ヤマをかける」のは、偶然のチャンスに期待することです。それに対して、「重点化」とは、中身の重要性に応じた努力配分をすることです。メリハリのある勉強をすることです。山勘でどこかに集中しているのではなく、本当に「重要なところ」を知り、それを押さえているのです(どこが重要かを知る方法は、本章の3で述べます)。
  注意していただきたい第2点。これは、「重要でないことをやらなくてよい」ということではありません。時間があれば、やるほうがよい。ただし、それは重要なことを済ませてから後のことです。要は、「平板に勉強してはいけない」「重要度にあった努力の分配をせよ」ということです。

学校の勉強では、何が重要かが決まっている

 本章の2で述べるように、「重要な点に集中せよ」ということは、勉強に限らず、多くのことについていえます。ただし、学校の勉強において、集中の有効性がとくに顕著です。
 なぜなら、「何が重要か?」が決まっているからです。時がたっても、重要性にあまり大きな変化がありません。さらに、何が重要かを比較的簡単に見出せます。これは大変重要なことです。
 社会に出てからの仕事では違います。何が重要かは、見出しにくいだけでなく、変化します。
だから、固定的な方法を続けていれば失敗します(これについては、第7章で再述します)。

出題する側の事情

 学校の勉強では、何が重要かの評価が確立していて変動しないので、試験での出題傾向も、ほぼ不変です。
 ただし、言うまでもないことですが、一般に重要と考えられていることしか出題されないわけではありません。そこから外れる内容の問題が出題されることもあります。すべての受験者が合格点を取ってしまうと、判定できないからです。
 これは、出題者の立場になったことがないと、分かりにくいでしょう。出題する側からすると、全員が合格点を取ってしまうと窮地に立たされるのです。もちろん、全員が不合格点でも困ります。ただ、その場合には、合否基準を甘くして救済することが可能です。それに対して全員が合格点の場合は、対処しにくいのです。
 ですから、時には難しい問題も出す必要があります。何題かの問題の中に、難しい問題も入れておくのです。
 ただし、難問奇問ばかりを出題していては、批判の対象となります。例えば、歴史の試験で、専門家しか知らない小国の政治家の名前を出題したら、批判されるでしょう。歴史全体の流れの中で意義があるような人物や事件を問う問題が、「良い問題」と評価されます。
 出題者は常に「良い問題」を出すプレッシャーを受けています。入学試験では、ことにそうです。とりわけ有名校は、このプレッシャーを強く受けています。だから、難関校ほど、入試には「まともな問題」「標準的な問題」を出すのです。
 こうした事情があるので、入学試験問題で求められているおおよその内容は分かります。問題の傾向は予測できるし、対応もできるのです。
 受験生の立場からすると、過去の傾向通りの問題が出ると考えても、大きく外れることはありません。運が作用することは、あまりないのです。

入試問題には、正解がある

 入試問題には答えがあります。しかも通常は、唯一の正しい答えが。そうでなければ、採点ができません。
 ですから、試験問題は、一定のパタンに当てはめれば必ず解けます。「この問題は、どのパタンに当てはめれば解けるか?」と考えればよいのです。
 誤って解けない問題を出してしまったときには、出題者は窮地に陥ります。実は、私にもこの経験があります。入試でなく期末試験ですが、ファイナンス理論の問題で、解けない問題(問題の設定を誤ったので、解が負になってしまう問題)を出してしまいました。
 試験の最中に気がついて、あわてて訂正しました。もし、入学試験なら責任問題です。
 ところが、現実の世の中では、解がない問題や、解がいくつもある問題は、日常茶飯事です。この問題については、第7章で再述します。


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