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『日本の税は不公平』全文公開:    第1章の6

『日本の税は不公平』(PHP新書)が3月27日に刊行されました。
これは、第1章の6全文公開です。

6 税制の改革に成功したローマ帝国のアウグストゥス

必要な増税をしない日本の首相

 第2章で詳しく述べるように、岸田首相は増税しなければならない状況にあるにもかかわらず、そこから逃げ回って、「ごまかし」としか言いようのない政権運営を行なっている。
 防衛費は、「増税が必要」との方針を閣議決定したにもかかわらず、現在に至るまで、具体的な増税案を出していない。少子化対策では、手当を増額することは決めたが、「負担なしでそれらを実現できる」と、不思議なことを言っている。負担なしで新しい施策をできるはずはないのだが……。
 もっとも重要なのは、高齢化社会に対する準備を怠っていることだ。日本でこれから高齢化が進行し、社会保障支出が増えるのは明らかだ。それに対して、何の財源措置も行なっていない。
 必要な財源措置をしないだけではない。2023年11月には、突然、所得税の減税を打ち出して、批判の対象となった。

パックス・ロマーナの基礎:ローマ税制を作った人

 岸田首相とは正反対の政策を行なった人がいる。人々の抵抗を排して増税を行ない、その後数百年にわたって続いた国の基礎を築いた人だ。
 それは、最初のローマ帝国皇帝となったアウグストゥスだ(正式な名は、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス・アウグストゥス。紀元前63〜紀元14)。
 彼は、それまで約100年続いたローマ共和国の内乱に終止符を打ち、戦争国家であったローマを、平和国家に移行させた。そして、約200年間にわたる「パックス・ロマーナ(ローマの平和、または、ローマによる平和)」の時代を実現した。
 これを実現するには、国のさまざまな構造を変える必要がある。その一つに、退役軍人に対する手当があった。それまでは、戦争で領土を広げ、そこに獲得した土地を与えることで退役軍人に対する手当にしていたのだが、平和国家になって領土が拡大しなくなれば、新しい土地は得られない。平和国家に転換するには、退役兵士への給付のための恒久的な財源が必要だ。では、何に財源を求めるか?
 これは、日本で、退職後の高齢者に対する社会保障給付が必要である状況と似ている。
 ところが、ローマの場合には、増税しようとしても、現代社会のような仕組みがないので難しい。例えば、所得税を徴収するには人々の所得を把握する必要があるが、それは、当時の社会では不可能だった。法人税を課そうとしても、そもそも法人が存在しない。
 そこでアウグストゥスが考え出したのが、相続税を創設して、兵士の退役給付金のための目的税とすることだった。
 我々の感覚だと、相続税で十分な税収入が得られるのだろうかと疑問に思うのだが、当時のローマでは、不思議なことに相続が頻繁に行われていた。とくに、子供のない人が血縁関係のない人に遺産を出すことが、ごく普通に行われていた。
 ギボンによれば、当時のローマには、実子のいない金持ち老人が追従者に遺産を残す場合が多く、「ローマは、遺産狩りとその獲物とに二分された。……夥しい数の途方もないひどい遺言状が、毎日のように奸智の指示で作られ、痴愚によって裏書きされた」と言われる状況だった。
 だから、赤の他人や遠い親戚から思わぬ財産が転がり込むのは、普通のことだったのである。雄弁家・哲学者で不正の弾劾者、自由の擁護者のキケロも、巨額の遺贈を受け取ったそうだ。
 そこで、これに対して課税をしようというのがアウグストゥスの考えだ。
 ただし、当然のことながら、これに対しては、貴族たちから強い反対が起こった。しかし、アウグストゥスは冷静に対処した。一切を元老院の協議に移すとともに、何とか国の経費を支えてくれるよう、率直に要請した。賛否を決めかねた元老院に対して、アウグストゥスは、「相続税にどうしても反対なら、新しく地租と人頭税を課すしかない」と匂わせた。結局、元老院は承諾せざるをえなかった。

徴税請負制度を廃止

 税についてアウグストゥスが行なったもう一つの改革は、徴税制度の改革だ。
 ローマの税の中心は、「十分の一税」と呼ばれるもので、属州民に課されていた。これは、穀物の収穫量などの10分の1を徴収する税だ。
 ここで次の2点に注意する必要がある。第一に、10分の1は収穫量に対する比率なので、利益に対する比率で言えば、負担率はずっと高くなる。これは、決して軽い負担の税ではなかった。
 第二に、ローマ市民は、この税を免除されており、税負担は、もっぱら属州の住民に課されていた。「属州(プロヴィンキア)」とは、ローマが征服活動によって獲得したイタリア半島外の領土。ローマは、巨大な軍事力で周辺の地域を征服し、そこに重い税をかけて搾取するという軍事国家だったのだ。
 アウグストゥスが改革したのは、十分の一税の徴収法だ。それまでの徴税は、徴税請負人(プブリカヌス)が行なっていた。この制度は、英語では「タックス・ファーミング(Tax Farming)」と呼ばれる。
 徴税請負人は、競争入札で選ばれる。請負人になることを希望する者が、作物の収穫に先立って、納税する額を国に提示する。最高額を提示した者が請負人に任命される。任命されたのは、騎士階級(エクイテス)と言われる経済に詳しい人々だ。
 徴税請負人は、収穫前に国家に税額を納入する。これは次の2つのことを意味する。
 第一に、収穫までの期間の利子に相当する部分を請負人が負担する。もちろん、請負人は、それに相当するだけ余計に徴収を行う。
 第二に、国は、契約しただけの税収を必ず得られる。穀物の収穫は天候等によって影響を受けるから、最初に見積もっただけの収穫が実際には得られないこともある。それでも契約額だけの税を国家に納めるのだから、そのリスクは、請負人が負うわけだ。そのリスクを補うために、徴税請負人の利益が大きくなっても、やむを得ない。
 ただし、この制度は悪用されやすい。とくに、属州総督の権力と軍事力を後ろ盾にして、あくどいビジネスを行なった例が多数あった。
 例えば、紀元前71年に属州シチリアで徴税請負人が結んだ小麦の十分の一税の契約は、属州の人々から54万モディエを徴収し、国に約22万モディエを納付するというものだった(モディエは、量の単位)。その他、リベートなども加えると、約39万モディエが請負ビジネスの利益になった。これは莫大な利益だ。「決められた額を納めれば、残りは自分の懐に入る」と聞くと、どこかの国で最近問題になっているキックバック裏金事件とそっくりの仕組みだと、唸ってしまう。人間がやることは、2000年経っても変わらないものだ……。
 徴税請負人は、しばしば属州総督と結託して、過大な徴税を行なった。これは、属州総督の大きな既得権となっていた。アウグストゥスは、こうした状態にメスを入れて彼らの既得権を奪い、国が徴収することとしたのである。
 徴税請負人は、人々の恨みの対象となった。イエス・キリストは、徴税人と食事を共にしたというだけで批判された。「パリサイ人はこれを見て弟子たちに言ふ『なにゆえ、なんぢらの師は、取税人・罪人らとともに食するか』」(『マタイによる福音書』9:9~13)。
 実は、マタイ自身が徴税請負人だった。「イエスここより進みて、マタイという人の収税所に座したるを見て、『我に従へ』といい給へば、立ちて従えり」と記されている。イエスはアウグストゥスの死後の人だから、アウグストゥスの改革後もユダヤには徴税請負人が残っていたことになる。
 十分の一税や徴税請負がもっと長期にわたって残った地域もある。とりわけ、オスマン帝国やブルボン朝がそうだった。本章の2で述べたように、フランス革命は、請負人の残酷さが一つの原因となって起こった。

アウグストゥスはローマ市民にはじめて負担を求めた

 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』によれば、関税と物品税もアウグストゥスが創設した。
 ローマ市民はそれまで1世紀半以上にわたり、一切の課金を免れていたのだが、ここに至って彼らの資産は、実に巧妙な評価査定を経て課税を受けることになったと、ギボンは述べている。
 ギボンによれば、アウグストゥスが統治を始めたころ、属州からの潤沢な貢納金は、ローマの財政需要を満たすのに十分だ。軍の任務も国境線警備が主だったので、さほどの財政負担にはならなかった。つまり、ローマ帝国は財政的に余裕があった。
 それにもかかわらず、アウグストゥスは、統治実権を握るや否や、財政収入の必要性を説き、公平な国民負担の必要性を力説したのだ。
「現在は財政に余裕があっても、将来は足りなくなる」と見通していたからだ。そして、負担増という不人気きわまりない計画を、慎重な配慮をもって推し進めていった。

改革は既得権との闘い

 パックス・ロマーナは、戦争を停止するだけでは実現できない。それを裏付ける経済的改革が必要だ。
 アウグストゥスは、それまでの空間的なフロンティアの拡大が限界に来たことを知り、それに代わる新しいフロンティアを作ろうとしたのだ。
 ただし、そのための改革は、従来の体制から利益を受けていた人々の反発を受けた。改革は、必ず社会的な抵抗を受けるのである。
 彼が闘ったのは、元老院の保守貴族だけではなかった。アウグストゥスが直面した最大の抵抗者は、それまで税を一切負担していなかったローマ市民だったのだ。そして、アウグストゥスは、自分の生涯を越えた未来のことを考えた。
 それに対して、日本の政治家たちは、次の選挙までは見通しているが、その先は見ていない。古代ローマに数百年先を見通せる政治家がいたのと比べると、何たる違いだろう。

300年間続いた平和国家の基礎を構築した

 ローマ帝国で、税負担の重さを理由にして起こった反乱はない。税を原因とする革命を引き起こさなかったという意味で、ローマの税制は成功であった。
 アウグストゥスが作った税制は、少なくとも約200年間、長く見れば約300年間続いた。
 これは、日本で言えば、江戸時代の税制がいまだに残っているようなものである。アウグストゥスがいかに堅固な国家の基礎を作ったかが分かる。
 アウグストゥスは、平和国家のビジネスモデル構築という大問題に挑み、いくつもの制度改革を行なった。それらは、数百年先を見据えた制度だった。
 そして、単に構想しただけでなく、さまざまな利害関係を調整して、実際に導入した。まさに「神の技」と言わざるを得ない。
 アウグストゥスを呼ぶのに、しばしば「神君」という言葉が用いられる。ギボンも『ローマ国衰亡史』の中で、この言葉を用いている。
 ロストフツェフが『ローマ帝国社会経済史』(東洋経済新報社)で言うには、帝国全域の国民大衆に皇帝アウグストゥスが卓越した人気をもっていたことには、なんの疑いもない。彼らにとって、アウグストゥスは真に超人、より高い存在、救済者、平和と繁栄をもたらす者であったのだ。

アグリッパ、マエケナスとの友情

 税の問題と直接の関係はないのだが、私は、アウグストゥスが、アグリッパとマエケナスという生涯の友人を得たことを、心の底からうらやましいと思う。この2人は、アウグストゥスがローマ帝国を統治する上での重要な支柱だった。
 マルクス・ヴィプサニウス・アグリッパは、アウグストゥスの軍事的な成果に大きく貢献した。アウグストゥスの軍事上の成果の多くが、アグリッパによるものだ。
 アグリッパは、また、ローマの都市計画やインフラストラクチャーの整備に大きく貢献した。特に水道橋の建設や修復、公共浴場の建設などを行なった。
 ガイウス・マエケナスはアウグストゥスの政治的な顧問であり、特に文化や芸術の分野で影響力を持っていた。また、秘密裏の交渉の折衝役を担当した。彼自身は主要な役職につくことはなく、黒子役に徹した場合が多かった。
 彼ら3人は、しばしば同じ執務室で仕事をし、議論を戦わせた。その議論から新しい国家が誕生し、成長していくのを見るのは、何とすばらしいことだっただろう。


エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)

吉村忠典『古代ローマ帝国』(岩波新書)

ロストフツェフ『ローマ帝国社会経済史』(東洋経済新報社)


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