仮想通貨を題材にしたハリウッド映画、それは「わかりきった真実」の域を出ていなかった

仮想通貨のビットコインをテーマにしたハリウッド映画『CRYPTO』が4月に米国で公開された。この作品には仮想通貨に絡んだ話が確かにたくさん出てくるが、そのテーマは実は仮想通貨ではなく、失われた田舎の素朴さ、ドラッグや犯罪、気候変動、外国人といったよくあるもの。確かに仮想通貨について考えるきっかけにはなるが、もっぱら男性が活躍する貧弱なハッキング映画にすぎなかった──。『WIRED』US版による辛口レヴュー。
仮想通貨を題材にしたハリウッド映画、それは「わかりきった真実」の域を出ていなかった
映画『CRYPTO』(日本未公開)はビットコインバブルがまだ弾けていなかった時代に制作が開始された。©LIONSGATE HOME ENTERTERTAINMENT/EVERETT COLLECTION/AMANAIMAGES

仮想通貨(暗号通貨、暗号資産)のビットコイン、いやブロックチェーンと言うべきかもしれないが、それはもはや退屈な話題になってしまった──。そんな意見を耳にしたことがある人もいるだろう。しかし、一概にそうとも言えない。なぜなら、本当のドラマはクラッシュのあとに起きるものだからだ。

仮想通貨交換所の最高経営責任者(CEO)を務めていた30歳の男性がインドの児童養護施設でヴォランティア活動をしていたときに、クローン病による合併症で急死したという話がある。その結果、暗号鍵が不明になり、交換所の資産は実質的に凍結された。

ところが、このニュースの裏では「身元情報が偽造されていた」とか「違法なサイドビジネスが展開されていた」とか、はたまた「1億ドル(約110億円)相当の仮想通貨が失われた」といった謎めいた話も出ている。一連の出来事が映画化されれば、お金を払ってでも観に行きたいところだ。

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その代わりと言うわけでもないが、ハリウッドから映画『CRYPTO』(日本未公開)がお目見えした。ビットコインバブルがまだ弾けていなかった時代に制作が開始された作品だ。当時は盛んだった数々の怪しいビットコイン投資と同じように、この作品もトレンディーなトピックに名を連ね、ブームがさらに拡大するよう期待されていた。

豪華キャストを迎えたが……

ジョン・スタルバーグ・ジュニアが監督を務めるCRYPTOは、カート・ラッセル、アレクシス・ブレデル、ルーク・ヘムズワースといった豪華キャストを迎えるなど、ヒットを狙っていた。しかしながら、この作品の公開はあまり大々的ではなく、米国の一部の映画館で4月に上映されたほか、インターネット上でストリーミング配信された。

ボー・ナップ演じる主人公のマーティンは、銀行でコンプライアンス調査を担当している。だが、「愛国心」ゆえにマネーロンダリング対策に関する法令を遵守することに執心した結果、ニューヨークの本店から追い出されてしまう。

自分の故郷である地方支店に飛ばされたマーティンは、この街が近代化の闇に飲み込まれている光景を目の当たりにする。再開発で立ち並ぶ高級住宅街、オピオイド中毒の主人がいるアートギャラリー、そして突然の冷害に見舞われたマーティンの父親が経営するジャガイモ農場──。

こうしたなか酒屋の主人は、仮想通貨の発行によって資金を調達するイニシャル・コイン・オファリング(ICO)への参加を呼びかけていた。街の人がビールの6本入りパックを盗むのを見過ごしながら、倉庫で仮想通貨のマイニングに取り組んでいる。彼は、これで1日に500ドル(約5万4,000円)を稼いでいた。

本当のテーマは仮想通貨ではない

CRYPTOには仮想通貨に絡んだ話が確かにたくさん出てくる。なかには、ブレデル演じる登場人物がビットコインのATMに不満をこぼしている面白いシーンもあった。しかし、この作品のテーマは、実は仮想通貨ではない。失われた田舎の素朴さを称えることや、ドラッグや犯罪、気候変動、外国人といったよくあるテーマを追いかけることに、この作品は終始している。

ちょうど、堕落してしまった街の住民のひとりで、ヘロイン中毒になったギャラリー経営者の女性が、ロシアの犯罪組織に属する恋人を裏切る直前に語った言葉を借りれば、こうだ。「人生は、そんな単純なものじゃない」。ビットコインは、こうしたさまざまな社会問題を物語の筋に入れこむための便利なミームとして使われているにすぎない。

ハリウッドが仮想通貨をどう扱うかについては、あまり期待していなかった。しかし驚いたことに、この作品はまったくの的外れというわけではない。CRYPTOを観て、ビットコインの価格高騰が大きな話題になった当時を思い出した。ドナルド・トランプ大統領やロシアのハッカーといったほかの話題のように、ディナーの席をにぎわす話題として登場していたころのことだ。

人々はビットコインのことを17年の感謝祭のころ、どんなふうに語っていただろう。完全に理解している人は誰もいなかったが、それでも話題に上り続けていた。少々うさんくさく、退廃や犯罪の世界を感じさせるものであったことは間違いない。とはいえ、一般人である親戚の誰それが大儲けしたといった話が語られていた。おそらく、当時は思いきって飛び込んでみる時期だったのだ。

ビットコインを巡る当時のうわさは漠とした、それでいて広く感じられていた不安の現れだったことを、この映画の制作者たちは暗示している。この作品は、熱気を帯びた夢に飛び込んだ米国の主流派たちが、転落し永遠に戻らないことを想定している。

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物足りない想像力

CRYPTOは、ギャングやマネーロンダリングに手を染める人たちを地方の農場に登場させることで、サスペンス映画でよくある手法を活用している。曖昧だった描写を少しずつ明確にしていき、不安を本物に変えるのだ。結果として、この作品は「よくあるパターン」になっているかもしれない。しかし、われわれの会話もきっとそうだったのだろう。

問われるのは、わたしたちの観る目が肥えたかどうかということだろう。予告編が19年3月に公開されたとき、ダークウェブを安っぽく取り上げた作品だといら立つ人もいた。一方で、仮想通貨の信者たちは、ハリウッドが新しい物語を提示するかもしれないと期待した。ブロックチェーンは、プライヴァシーの保護や自由といったテーマと等しく扱われるかもしれない──。しかし、それは馬鹿げた期待だった。

それはハリウッドのせいではない。仮想通貨を巡る物語には、見識を変えるような要素がないからだ。ブロックチェーンは世界をまだ変えていない。特に富裕層を生み出したわけでもなく、少なくとも誰もが気づくような変化をもたらしてはいないのだ。この作品が、わかりきった真実の域を出ることはない。

とはいえ、もう少し想像力の豊かさを見出すことができたら、なおよかっただろう。未来を予見するひらめきもあるが、偶然としか感じられない。酒屋でICOへの参加を呼び込むためのサクラとなったアールは、銀行がビットコインを「コントロールできない」ことから買い占めようとする陰謀について、不満をこぼす。これは真実であることがのちに判明したが、映画制作者たちが意図したことではなかった。

ビットコインが普及するうえで、女性の果たす役割が目に見えて増える可能性があることを、CRYPTOは予測できていただろうか。できていたなら、ブレデル演じる女性がマイニングリグを扱ったり、コードを書いたりする場面が見られたかもしれない。しかしストーリーでは、彼女は少年の罪を被る。この映画では、スケープゴートにされない女性はひとりもいない。

仮想通貨を考える機会にはなる

CRYPTOは、仮想通貨についてあれこれ考えさせてくれる映画だが、これまで紹介してきたような要素が作品を台無しにしている。米国の現状を批判するように装っているが、もっぱら男性が活躍するハッキング映画であり、ストーリー構成は貧弱だ。主人公のマーティンでさえ、ありえない展開が起こるたびに「こんな馬鹿な」と言っている。

密告者たちは情報を提供すると、まるでセミのようにすぐに殺されてしまう。カート・ラッセルが演じたジャガイモ農家の男は、ラッセルの姿を印刷した等身大パネルに任せてもよかったかもしれない。彼が登場するシーンは数分しかなく、汚らしい姿でしかめっ面を見せるだけだからだ。

このほか登場するものといえば、切り落とされた舌、グリースたっぷりの髪型で遠くからうつろな目を向けるギャング、暗号鍵の暗号を記録して死んだ人物からの動画──。それから、ギャングから入手したしわだらけのメモもあったが、そこにはこう書かれていた。「COPS = RIP(刑事さんよ、安らかに)」。監督はこの映画をもう少し楽しいストーリーにできればよかったと思う。

最後には、犯罪組織の数人が殺される。マーティンはスーツを脱ぎ捨てて生まれ育った土地に戻り、父親とジャガイモを掘り始める。しかし、その間も町のどこかでマイニングリグが、うなるような音を立て続けている。映画の舞台にならなかった場所で、マイニングリグがなお稼働していることは間違いないだろう。

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TEXT BY GREGORY BARBER

TRANSLATION BY TAKU SATO/GALILEO