How the world’s first BITCOIN HEIST went south

アイスランドからアムステルダムへの逃走劇──空前絶後? のビットコイン盗難事件【前編】

北極圏に近い島国アイスランドには、アメリカ西部開拓のゴールドラッシュ時さながらに採掘者団が殺到していた。西部劇そのままのような大胆な窃盗と逃走劇がくり広げられたビットコイン盗難事件の顛末を英版『GQ』が追った。前編をお届けする。

史上空前のビットコイン窃盗団

ビットコインに代表される暗号通貨の取引では「マイニング(採掘)」と呼ばれる作業がある。それは個人間の売り買いの取引をいわば台帳に追記をしていくような行為だが、その追記作業には利害関係のないコンピューター(群)による膨大な情報処理と計算能力が必要であり、その処理を最速で完了した者だけがビットコインの報酬を得ることができる、という仕組みになっている。

そのマイニングで仮想通貨を生み出す電子機器そのものを物理的に奪おうと考える連中などいるはずがない。なぜなら、仮想通貨盗難事件といえばハッカーが手腕を駆使してセキュリティの防壁をやぶり、電子的に多額を盗み取るものと決まっているからだ。ところが、そのまさかをやってのけた男たちがいる。どこに?─アイスランドに、だ。

事件の首謀者と目されるシンドリ・トール・ステファンソンと、共犯者のアイルランド人7人は2017年12月から翌18年1月にかけての3回に及ぶ窃盗事件で600台ものマイニング用コンピューターを企業の大規模施設から盗み取り、18年2月1日に逮捕された。これは小国アイスランドにとっては史上最大規模の連続窃盗事件と呼べるものであった。さらに、この事件が国際的な注目を集めるきっかけになったのが、主犯格のステファンソンの脱獄だった。

アイスランドのソグン刑務所からステファンソンが脱獄したのは18年4月17日のことだ。逮捕はされたが決定的な証拠はなく、いまだ起訴にも至っておらず、裁判所の判事たちが尋問のための勾留期限を延長するべきかどうかを迷っているさなかに、31歳のステファンソンは断りもなく刑務所から出ていったのだ。

ここで「断りもなく」というのは、冗談のようだが本当のことだ。ステファンソンは出ていきたいなら止めはしないが、断りなしに出獄したなら尋問のためにもう一度逮捕することになる─と告げられていた。開放型刑務所と呼ばれるソグン刑務所は警備のゆるやかな施設であり、鉄条網つきの高い塀も、監視塔で狙撃銃を携えた看守もいない。ここの囚人たちは窓つきでテレビもある個室をあてがわれ、携帯電話を使うこともできるし、家族に会うためや、単に酔っ払うためだけに外出が許される場合すらある。さらに驚くべきことに、脱獄ですらがアイスランドでは犯罪にはならないのだ。状況の如何によらず自由を求めることは人間としての自然な欲求であると国法に定められていることが、その根拠となっている。

かくしてステファンソンは刑務所内から深夜に偽名で国際便の予約をし、砂利敷きの小道を1マイルほど歩いて国道に出て、ヒッチハイク(もしくは協力者のクルマ)やタクシーで100kmほど離れた空港に行き、早朝の便に乗りこんだ。そのフライトには偶然にもアイスランド首相カトリーン・ヤコブスドッティルがインド首相との会談に向かうために乗っており、たまたま同じ便に乗り合わせるかたちになったが、フードつきのジャケットを着込み、黒い野球帽を目深にかぶった彼は他人名義のパスポートを携えて女性首相から数列離れただけの席にかけていながら、誰からも見咎められることなくストックホルムの空港に降り立ったのだ。

ソグン刑務所の看守がステファンソンの脱走に気づいて警報を発したのは、飛行機が離陸して30分が経ってからだった。アイスランドの警察はただちにヨーロッパ各国の警察に連絡をとり、飛行機が着陸する頃にはステファンソンは国際手配犯になっていた。アイスランド警察の発表によれば、スウェーデンに着いた彼は自分の顔写真があちこちのメディアに出回っていることを知り、3人の友人とともに3日3晩ストックホルム郊外に潜伏し、それからデンマークへ、次いで電車でドイツへと移動して、そこから何者かの運転するクルマでオランダに向かったという。首都アムステルダムに到着すると、幼馴染みのハフトル・ロギ・フリンソンと落ち合った。フリンソンはドラッグ密輸で財をなした男で、スペインのビーチリゾートのコスタ・ブラバで優雅に暮らしていた。現地では、一緒にショッピングモールを散策したり、セルフィーを撮ったりした。

アムステルダムで3時間ほどを過ごした頃に、ステファンソンの顔を見て渦中の逃走犯だと気づいた民間人からの通報があり、自転車の警察官たちが彼を逮捕した。アイスランドの刑務所を脱獄してから5日後のことだった。

そうして主犯格のステファンソンが再逮捕されはしたものの、逮捕された面々は詳細の供述を拒みつづけ、真相はいまも闇につつまれたままだ。ステファンソンらはいったいなぜ、ここまで大規模な連続窃盗事件を計画し、実行したのだろうか? そこで次には、この事件発生の背景となったアイスランドの国内事情を見ていきたい。

逃亡者
シンドリ・トール・ステファンソン

一連の事件の首謀者とみられている男。逮捕後に刑務所から脱獄し、アイスランドの女性首相と同じ国際便の飛行機に乗りこんで、国際手配犯となった。

共謀者
ハフトル・ロギ・フリンソン

2018年1月16日の窃盗事件で背後から糸を引いたとみられている。スペインのビーチリゾートで暮らしていた。山のような大男で、全身にタトゥーを入れている。

元ドラッグ密輸業者
アンソール・ クリストジャン・カールソン

かつてアイスランドのドラッグ密輸業界でかなりの重きをなしていた。国内でこの商売に関わっている主要なメンバーすべてに顔が利く。

ビットコイン採掘者
アトリ・ぺートゥル・オーディンソン

リーマン・ショック後の国家破綻危機で財産を失ったアイスランド人のひとり。祖国が仮想通貨のゴールドラッシュに沸くさまを目の当たりにしてきた。

警察署長
オラフル・キャルタンソン

連続窃盗事件のうち、1件以外のすべてが起きた地域を所轄する警察署長。この事件の背後には国際的な犯罪組織の関与があるに違いないと発言したことがある。

アイスランドが仮想通貨ゴールドラッシュに沸くまで

2008年9月15日、投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻し、世界中がきりもみ降下のごとき景気後退の渦に巻き込まれた。とりわけ甚大な経済損失をこうむったのがアイスランドだった。ゼロ年代前半の米住宅ローンバブルに乗って高金利を売りに投資マネーを呼び込んでいたためにリーマン・ショックの大波をもろにかぶり、国家破綻の寸前にまで追い込まれたのだ。アイスランドの大手銀行3行はGDPの6倍もの額の不良債権を抱えることになり、3行とも国有化され、通貨クローナは紙くず同然になった。

ゼロ年代の好況を「夢のようだった」とふり返るのは、リーマン・ショック当時29歳だったITスペシャリストのアトリ・ペートゥル・オーディンソンだ。小規模なインターネット・プロバイダーで働いていた彼は、ふんだんな余暇時間をIT技術者としてのレベルアップにつぎ込んでいたが、そんな彼にも3万ポンド(約435万円)の年金基金があった。それが、ほとんど一夜にして2000ポンド(約29万円)にまで萎んでしまったのだ。

2009年1月20日。首都レイキャビクの国会議事堂前に集まった群衆が鍋やフライパンを打ち鳴らして抗議の意思を示した。数日間に及んだこの抗議行動は「鍋とフライパン革命」と呼ばれ、経済危機からのV字回復のための荒療治へと政府を突き動かした。具体的には、銀行がつくった巨額の焦げつきを国家負債として英国とオランダに分割で支払うという法案が国民投票にかけられ、反対約94%という圧倒的多数で否決されたのだ。この法案は実質的には投資マネー集めに奔走して借金を膨らませた銀行の尻拭いをするものであり、国民がそれに「ノー」を突きつけたことは他国にはまれな快挙である。さらに、多くの企業役員や銀行家らが政府調査を経て逮捕されることにもなった。

それと同じ月に、サトシ・ナカモトと名乗る人物がビットコインという仮想通貨の理論を発表した。政府や中央銀行による介入の手の及ばないその仕組みを革命的な新通貨の登場だと歓迎する人や、しょせんデジタルの幻影に過ぎないと吐き捨てる人など評価は割れたが、オーディンソンは翌10年頃からビットコインの採掘を私用のノートパソコンで始めた。ブームの初期には、彼のようなホビー感覚の採掘者が、10分おきに50ビットコインを掘り当てるようなことさえあり得た(執筆時点での50ビットコインの価値は約13万5000ポンド〈約1958万円〉)。

2009年までに、アトリ・ペートゥル・オーディンソンの年金基金の90%以上が消滅。その損失を取り戻すべく、オーディンソンはビットコイン採掘に目をつけた。

"革命的な新通貨の登場だと歓迎する人や、 しょせんデジタルの幻影に過ぎないと吐き捨てる人など評価は割れた"

その後、当初の歓迎の熱気も冷め、批判的な報道が勢いづきもしたが、ビットコインの流通規模は拡大しつづけ、2013年にはASIC(特定用途向け集積回路)という専用プロセッサが登場。従来の50倍の速度でマイニング作業が行えるようになり、マイニングは個人の趣味レベルから新興ビジネスへと発展していった。

先に述べたように、マイニングは膨大な計算を行い、いち早くその処理を終えた者だけがビットコインの報酬を得るという仕組みになっている。その競争に打ち勝つために必要なPCのスペックは一般向けのパソコンとは、乗用車とジェット機ほどに桁違いなものとなっていた。マイニング用PCを集めたデータセンターは大きな熱を発生させ、冷却のために膨大な電力を必要とする。冷却と電力。それらの条件は、神の恩寵かと思えるまでにアイスランドの国情と合致するものであった。

アイスランドは北極圏に近い寒冷な国であって機器の冷却には元々有利であるうえに、電力供給量の4分の1が安価な地熱発電となっている。この二重の好条件が世界中の採掘業者(マイナー)の注目を集め、19世紀アメリカ西部のゴールドラッシュさながらの、一攫千金を夢見る者たちの殺到をもたらしたのだ。この仮想通貨版ゴールドラッシュはアイスランド経済の復興を後押しし、2017年12月には1ビットコインの価値が1万4760ポンド(約214万円)の高値をつけた。配管工との雑談にすらビットコインが出てくるようになったとオーディンソンは語る。

かくして西部劇の再来のような舞台装置ができあがった。

→後編へ続く

文・ピーター・ウォード、ショーン・ウィリアムズ イラスト・ジェームズ・ヤマサキ 翻訳・待兼音二郎