エヴァン・ラトリフ

ジャーナリスト。『WIRED』をはじめ、さまざまな雑誌で記事を執筆。オンラインメディアプラットフォーム「Atavist」共同設立者・編集主幹。著書に『Mastermind: Drugs, Empire, Murder, Betrayal』(2019年)がある。

メッセージが届き始めたのは、5月半ばの日曜日の午後のことだった。「ちょっとお耳に入れたいことがありまして」という内容に続き、次の人物は「こんなうわさが立っているんです」と教えてくれた。「あなたがどうお考えになるか、ぜひ知りたいです」。3人目のメッセージにはそうあった。こうした連絡をくれる人のほとんどは面識がなく、文面はどれも丁重だが、どこか拒絶を許さないところがあった。誰もが、過去10年のデジタルテクノロジー分野で最も大きな関心を集めてきた謎のひとつについて、インターネット上で新たに拡まり始めた説に対するわたしの意見を知りたがっていた。そう、「サトシ・ナカモト」の正体は誰か、という謎だ。

わたしのTwitterアカウントに、DMで次のような単刀直入な質問が寄せられた。「あなたは、ポール・ルルーがビットコインの生みの親のサトシだと思いますか?」

ある意味で、彼らは正しい人にメッセージを送ったと言えるのかもしれない。というのも、わたしは5年にわたって、グローバルな麻薬や武器取引の帝国を築き、21世紀で最も成功した(それゆえ最も厳しく追われる身になった)犯罪者のひとりに数えられる南アフリカ人のプログラマー、ポール・カルダー・ルルーの足跡を追い続けていたからだ。その間、彼の人生──暗号化プログラマーを振り出しに、オンライン処方薬ビジネスを数億ドル規模の事業に育て上げ、密輸や武器取引、狼藉などにも手を拡げるも、2012年に米麻薬取締局(DEA)に逮捕され、その捜査に協力する──を、とりつかれたように調べ上げていた。

裏社会の帝王の姿

ルルーはこうした活動の過程で、米国ではオピオイドの蔓延を助長し、ソマリアには自身の作戦基地を設けて武装組織に守らせた。また、アフリカの6カ国ほどで、金の採掘や森林伐採などの事業を手がけ、香港で巨額のマネーロンダリングをした。セーシェルでは一時、クーデターを画策し、拠点としていたフィリピンでは、法執行官を買収している。北朝鮮からは覚醒剤のメタンフェタミンを密輸した。このほか、イラン向けのミサイル誘導システムや、麻薬配送用のドローンなどを製造する技術者チームを自ら統括してもいた。

わたしはマニラに飛んでその裏社会を取材して回り、ルルーの用心棒だった元雇兵を含め、彼の下で働いた人たちを見つけ出した。そして、数百回のインタヴュー、数万ページに及ぶ記録を『The Mastermind』という400ページの本にまとめ、そのなかでルルーの栄枯盛衰を描き出した。

ただ、サトシについての質問には、正直なところ独特の恐怖心を覚えた。なぜなら、わたし自身、過去にサトシの迷宮に入り込み、結局何も見つけられずに戻ってきたという経験があったからだ。16年、わたしはルルーのいとこのマシュー・スミスにこう書き送っている。「じつはひそかに、ルルーがビットコインを発明したという説を立てているんです」。だが、スミスも、組織のメンバーや警官も、わたしが取材した100人以上のほかの関係者も、この説を裏づけるようなものは、見たことも聞いたこともなかった。だから、本を書き終えた18年末には、もうこの説はほぼ放棄していた。「(ルルーとサトシを)結びつけるものが何かないか突き止めようとして、膨大な時間を無駄にしてしまった」。最終稿にわたしはそう書いている。「筆者が調べた限りでは、それは、なかった」

こういう結果にも、少し慰められるところはあった。それまでに何人もの人が「サトシ狩り」に出かけては屈辱を味わわされていて、わたしは少なくともそういう目に遭うのは免れていたからだ。ビットコインという、通貨のあり方から契約の形式まで、さまざまなものの未来をかたちづくることになりそうなテクノロジー──「ハイプ・サイクル」の谷を越えた今日でもそう言えるだろう──をあとに残して、サトシが仮想通貨の世界から姿をくらました11年以来、ジャーナリストはその生みの親探しにいざなわれてきた。サトシが誰であれ、その人(たち)は、09年のビットコイン導入時に「採掘(マイニング)」したと推定されているおよそ100万ビットコイン(現在の価値で約1兆800億円)を保有している。そして、その正体を暴こうという試みはことごとく失敗に終わっていた。

だがいまは、ルルーに関するメッセージがひっきりなしに届き続けている。実はそのころ、サトシの正体を巡って非常に興味をそそる手がかりが新たに浮上し、ネット掲示板の「4chan」やITニュースサイトの「ハッカーニュース」で次々にスレッドが立っていた。わたしへのメッセージも、それに触発されたものだったのだ。その手がかりというのは、数十億ドル相当のビットコインを巡ってフロリダ州の連邦地裁に起こされた訴訟に関連し、裁判所に提出された文書に記載されたある脚注だった。

もう一度サトシの迷宮に下りてみる

話はここから奇妙になっていく。その訴訟の被告は、オーストラリア人コンピューター科学者のクレイグ・ライトという人物だった。「サトシ伝説」をずっと追ってきた人なら誰もが知っている通り、ライトは、15年末に『WIRED』US版とギズモードによって、サトシ・ナカモト本人の可能性があると報じられた人物だ。ただ両メディアとも、依拠していた文書が偽造されたり、改変されたりしたものだったらしいとわかって、のちにこの説から距離をとっている。

ライト自身は、当初は自分がサトシかどうかを明かすのを拒んでいたが、その後、自分がサトシだと証明しようとするようになる。だが、ビットコイン・コミュニティの大半はその説明に納得せず、ライトがPR目的の告白イヴェントで提出した証拠が容易に信ぴょう性を否定できるものだったことから、彼のことをペテン師と見なすようになる。ただ、彼のほうは現在も自分がサトシだと言い張っており、運営する会社「nチェーン」──オンラインカジノの大物経営者だったカルヴィン・エアーの出資を受けている──は、ビットコインに代わる「ビットコイン・サトシ・ヴィジョン」という仮想通貨を発行している。

ポール・ルルーをこの泥沼に引きずり込むことになる訴訟は、18年、ライトの友人にしてビジネスパートナーだったコンピューターセキュリティの専門家で、13年に死去したデーヴ・クライマンの弟 、アイラ・クライマンによって起こされた。強力な法律事務所ボイス・シラー・フレックスナーが代理人を務めるアイラ側は、デーヴとライトは共同で数十万ビットコインを採掘したと主張しており、デーヴの死後、ライトが彼のもち分を自身とその会社に移し、現在の価値で数十億ドル相当の資産をデーヴから奪ったとしている。

ここで問題の脚注が登場する。19年4月、ライトの弁護団は、デポジッション(証言録取)と呼ばれる手続きの質問に対する回答の一部を非公開にするよう、担当判事に申し立てた。それらの回答は、ライトとデーヴが法執行当局による逮捕を手助けしたとされる人々にかかわるものであるため、公開されれば「彼(ライト)やほかの人たちを危険にさらし」、また「国家安全保障上の懸念を招く」恐れがあるというのがその理由だった。申し立てのなかでは、ふたりが逮捕に協力したとされる人々の名前や、ライトの回答に関する脚注については編集が加えられていた。だが、弁護団はその際にミスを犯したようで、脚注のひとつを黒塗りにしていなかった。そこには、ポール・カルダー・ルルーについての記事とウィキペディアのページへのリンクが記されていた。

この脚注に関するニュースがネット掲示板からビットコインニュース界へ拡がり、さらにわたしの受信ボックスにまで届くようになったころには、このかすかなつながり──実際に手がかりとするにはあまりにも薄いつながり──は、いつの間にか、ルルーこそサトシに違いないという臆測へと驚くような変貌を遂げていた。クレイグ・ライトはルルーのことを知っていたに違いない。ルルーがビットコイン誕生の裏にいる人物だと知っていたはずだ。もしかすると、彼はルルーと協力していたのかもしれない。しかし、ルルーが米国で拘束下に置かれ、外部と連絡がとれなくなったことに15年までには気づき、自分がサトシだという工作を始めると同時に、アイルと共に、ルルー=サトシが秘匿するビットコインの暗号解読に乗り出した──。率直に言ってついて行くのも難しかったが、だいたいそんな話になっているらしかった。

全体としてうんざりさせられる話に思えたが、わたしは結局、もう一度サトシの迷宮に下りてみることにした。それは、ばつの悪い思いをすることへの恐れが勝ったからだった。もし、本当にルルーがサトシだったとしたら? ルルーのことを何年もかけてあれだけ調べたのに、そのことをほかの人に証明されてしまったら? そんな不安に駆られたのだ。ルルーがサトシだとする根拠の薄い説を唱える人に加わってみるのと、答えが目の前にあるのに、インターネット最大の謎を解くのに失敗することになるのとでは、どちらがぶざまかと想像した。わたしは、本を書くためにつくったルルーのアーカイヴを開き、資料に当たり始めたのだった。

footprint

 

数日のうちに、ルルーとサトシの、以前は気づかなかったり、軽視したりしていた意外な関係性が浮かび上がってきた。さらに数日後には、この説に有利な証拠と不利な証拠をまとめたスプレッドシートを作成していた。わたしは数週間かけて、ルルーとサトシがそれぞれ確実に書いたと言える文書を、一点一点、綿密に読み込んだ。そして、スプレッドシートの「有利」の列の項目がどんどん増えていくことに当惑していた。何人かの専門家にも相談し、自分が見つけた根拠について検討してもらったが、それを論駁(ろんばく)できた人はひとりもいなかった。作業を始めてから1カ月後、わたしは、暗号通貨に関する深い知識をもち、サトシ伝説の展開をくまなく追ってきた知り合いに向かって、ビットコインの生みの親は誰かという謎に対して、ルルーは有力な答えだと説得できるまでになっていた。

そういうわけで、ポール・ルルーがサトシ・ナカモトだとする説に、わたしも公に賭けようという気になっていた。これまでに見つけたすべてのことを根拠に、この説を支持しようとした。だが、ここまで来たところで、わたしは、これまでに見つけられていないことが気になり出した。

ルルーとサトシを結びつけるもの

ルルーは確かに、ビットコインを生み出すのに必要な技術的スキルをもっていた。この点は、わたしが以前の段階で結論づけていたことだ。彼は独学のプログラマーで、さまざまなプログラミング言語を使いこなしていたが、なかでも、ビットコインの開発言語である「C++」を得意としていた。また、暗号化とネットワーキングの両方に精通しており、その広範な知性によって驚くほど多種多様な分野(多くは非合法なものだったが)の専門スキルを身につけていた。「彼は非常に才能に恵まれたソフトウェア開発者で、わたしがこの業界での30年の経験を通じて会ったなかでも、ひときわ優秀な人物でした」。暗号化プログラマーとして彼と一緒に働いた経験があるショーン・ホリングワースは、ルルーのことをそう評している。

サトシと最も関係してくるのは、ルルーにも自分のソフトウェアを開発し、普及させた経験があるところだろう。しかも、このソフトウェアは多くの点でビットコインと似ていた。彼は1990年代末、日中はプログラミングの仕事をしながら、夜間や週末の時間を使って「Encryption for the Masses(大衆のための暗号化、略称E4M)」という複雑なディスク暗号化ソフトウェアを開発していた。99年に暗号化技術のメーリングリストでE4Mを発表し、「e4m.net」というウェブサイトを開設して、そこでオープンソースコードとしてリリースする。公開後は精力的に、技術的な質問に答えたり提案を受け付けたりしている。その後、後継ソフトウェアの「TrueCrypt(トゥルークリプト)」が同じような手順で公開され、さらに有名になった(TrueCryptはこれまで、ルルーと直接関連づけられてこなかったが、わたしの情報源の数人は彼がかかわった可能性が高いとの見方を示している)。

ビットコインはE4MやTrueCryptとよく似た仕方で登場している。サトシも数年間かけてそれを開発したとみられ、08年10月にどこからともなく現れて、いまや有名な例のホワイトペーパーを「Cryptography」というメーリングリストで公開し、ビットコインを発表する。続いて、「bitcoin.org」というウェブサイトでそれをリリースし、以後数年にわたって、やはり熱心に技術的な質問に答えたり提案を受け付けたりしている。

ルルーとサトシがそれぞれ書いたものを比べると、ふたりのスタイルは多くの点で似ているように思えた。サトシは一般に、単語の使い方やcolourなどのつづり方から英連邦の国出身の英語のネイティヴスピーカーだったと考えられているが、ときどき(理由は不明だが)米国ふうの言葉の使い方もしている。一方、ルルーはジンバブエと南アフリカで育ち、オーストラリアにも何年か住んだ経験があるが、20代初めの人格形成期を米国で過ごしてもいる。ルルーの親族には、彼は米国ふうの発音で話すこともあったと証言している人もいるのだ。

ふたりの書いたものをさらに詳しく検討してみると、数年前には気づかなかった、もっと微妙なつながりらしきものも見えてきた。サトシには、ビットコインをリリースする前に、それに先行する仮想通貨の開発者ふたりに送ったメールがあることが知られている。彼はそれらのなかで、ビットコインの開発プロジェクトについて説明したうえで、開発者が自分であることを示す適切な方法を尋ねている。実は、その10年前に、ルルーも似たようなやりとりをしていた。彼も、E4Mのために使おうと計画した暗号化プロトコルの著者にメールを送っていたのだ。両者のメールを読み合わせると、言葉遣いこそ違っているものの、言っていることは同じだと感じた。サトシがメールを送った仮想通貨開発者のひとりであるアダム・バックに、わたしが入手したルルーのメールを読んでもらったところ、彼も同意見だった。「ぶっきらぼうと言ってもいいほど淡々とした書きぶりですね」とバック。「すぐ本題に入っています。『あなたの成果を正しく引用したい』と。確かに(ふたりのメールは)よく似ていますよ」

サトシはフォーラムへのある投稿のなかで、どのように「強力な暗号化は大衆に使われるようになったか」に言及している。ルルーのE4Mというソフト名──大衆のための暗号化──と薄気味悪いほど符合する表現だ。また、ビットコインソフトウェアの最初のヴァージョンには、一種のオンラインポーカーソフト向け基本インターフェイスを示す不可解なコードが埋め込まれている。一方、わたしが調べたところでは、ルルーは何年かオンライン賭博ビジネスに手を染め、自らカジノのソフトウェアも制作している(彼のいとこのマシューの話では、ルルーはその何年も前に、何らかの方法で賭博業界の大物として知られたカルヴィン・エアとつながりをもつようになり、エアのためのパスポートを入手しようとしていると語ったこともあったという)。ビットコインソフトウェアに紛れ込んだこの謎のコードも、ふたりの隠されたつながりを示唆するものなのだろうか。

夜遅くまで、わたしは両者のソフトウェアライセンスを、一行ごとに突き合わせて比較するようになっていた。頭のなかでは、大まかなパターン照合を試しにやってみているだけだと言い聞かせていたが、完璧なストーリーを欲しがる気持ちに突き動かされていたのだった。ストーリーはどんどん進んでいった。サトシがビットコインを開発しようとした思想的もしくは実践的動機──政府による管理に対する嫌悪や銀行システムに対する不信、新たなデジタル決済手段への願望──を検討していくと、ルルーはビットコインの考案者として、恐ろしいほど完璧だった。暗号化の研究者で、プライヴァシー指向の暗号通貨プロトコルの開発に自らかかわった経験もあるジョンズ・ホプキンズ大学のマシュー・グリーンはこう語っている。「サトシについてひとつ言えるのは、彼が異様に反政府的で、経済に関しても異様な考え方をしていたらしいということだ」

そしてルルーも、オンラインフォーラムへの投稿やE4Mのリリースノートのなかで、政府による管理へのいら立ちをあらわにしている(もっとも、国際的な犯罪組織を築くことになる人物の振る舞いとしては、特別驚くべきものではないかもしれないが)。実際、彼には、自分が経験してきたことから、デジタル通貨を考案する動機がたくさんあった。1990年代半ば、オーストラリアに住んでいた時期には、ある掲示板にこう不満を書き込んでいる。「(ここの)銀行は、しかじかの額の現金取引も含めて、客がすることを逐一(当局に)報告しやがる」。ルルーはその後、グローバル金融界の内部メカニズムを熟知するようになっている。わたしが入手したルルーの履歴書(裁判資料に含まれていたものだが、それまで公表されていなかった)によれば、彼は長年、契約プログラマーとして働き、オランダのABNアムロ、オーストラリアのコモンウェルス銀行といった金融機関向けの国際銀行送金システムのプロトコル実行などの業務に携わっていた。

やがてルルーは、このシステムのデジタル技術としての制約に直面することになる。2000年代半ば、運営していた処方薬のオンライン販売網が巨大になると、客が支払った莫大な代金の回収や移動にいつも苦労することになったのだ。そこで彼は、この販売網がオンラインクレジットカード決済業者から遮断されないように複雑なスキームを構築したほか、銀行に見つからないようにダミーの会社やトラストの網を張り巡らせた。いとこによれば、銀行の送金システム全体を迂回(うかい)すべく、マニラで自分の銀行を設立すると話していたこともあったという(実際は数億ドルの資金を金に換え、アフリカや東南アジア各地の隠れ家に保管した)。

ルルー=サトシ説に有利な証拠が積み上がっていた。それでも、別の種類の確証、ルルーが実際に、デジタル通貨に対する積極的な関心を示していたことを裏づける証拠も必要だった。わたしは、フィリピンでルルーのプロジェクトが行なわれていた施設を管理していた情報源に連絡を取った。そのプロジェクトの多くは、ドローンや、ミサイル誘導用のソフトウェアといった気宇壮大なもので、プログラマー(ずばりC++のプログラマー)チームが開発に携わっていた。ルルーは東欧から人材をリクルートしていた。ルルーがビットコインについて話していたことはありますか、とその情報源に質問した。返信には「彼は(マニラの)事務所にルーマニア人プログラマーのグループを擁していたんだ」とあり、こう続いていた。「彼らはオンライン通貨について話し合っていたよ。ビットコインがリリースされるより前の、07〜08年のことだ」

ルルーの高位の部下だった別の人物にも聞いてみたところ、同じころ、ルルーはこんなふうに語ったことがあったという。「カネ、本物のカネをつくりたけりゃ、(偽造)紙幣を刷ってる北朝鮮のようにやるしかないな。それか、自分で通貨をつくっちまうかだ」

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