ギデオン・ルイス=クラウス

『WIRED』US版のコントリビューティングエディター。

リバタリアンな彼との出会い

2010年のある春の日、ニューヨーク大学の2年生だったキャスリーン・マカフリーは、アーサー・ブライトマンという見知らぬ人物から招待状を受け取った。

アーサーは月に1回、古典的リベラルの信奉者が集まるランチ会を主催していて、共通の友人からキャスリーンが政治の世界を志していることを聞き、興味をもつのではと思って声をかけたのだ(彼女の写真を見てかわいいと思ったのも理由だろう)。好奇心旺盛なタイプの彼女は、招待を受けることにした。

キャスリーンいわく、アーサーはあまり社交的なタイプではないが、彼女がドアを開けて入ると、「まっしぐらに」彼女のほうへ向かってきたという。実はランチ会は無政府資本主義者たち、つまり完全に自由で自律的な市場があれば、契約によってのみ結びつく個人が、ラディカルに調和しながら輝けるはずだと考える人たちの集まりだった。

キャスリーンがこれはちょっと違うと気づいたときには、ふたりはすでに打ち解けていた。キャスリーンがミルトン・フリードマンを崇拝していると言うと、アーサーはフリードマンの孫のパトリと友達なんだと自慢げに明かし、パトリの父親が書いた自由に関する本を貸すよと言った。

キャスリーンをキープしたかったアーサーは、金融街にある散らかった自分の部屋で急きょパーティーを開くことにした。翌朝にはメールを送り、夕食の席をふたりぶん予約したと伝えた。すべてが運命に導かれているように思えた。

傲慢なほどの自信と率直さ

ふたりは性格も生い立ちもまったく違うものの、面白いとり合わせだった。キャスリーンはせわしないほど活発なタイプで、機転が利き、髪は濃い赤で瞳は灰色。魅力的で特徴的な言葉遣いは、哲学と経済学を独学で勉強してきた影響と、商船の船乗りのような粗削りで肝の据わったところをうかがわせた。ニュージャージー州北部の育ちで、両親はブロンクス育ちの建設作業員とアイルランド系の小学校教師。カソリック系の女子高時代は、『ウォール・ストリート・ジャーナル』を読み、ゴルフ部に所属した。

一方のアーサーは、内気なところととげとげしいところが交互にのぞく性格で、柔らかく丸みを帯びた顔に倹約家気質をうかがわせる笑いを浮かべる。パリ郊外で育ち、両親は有名な脚本家兼テレビディレクターと公務員。18歳のときに国際情報オリンピックに出場し、銅メダルを獲得してフランスに初のメダルをもたらすと、その後は超難関校のエコール・ポリテクニークで応用数学とコンピューター科学の学位を取った。28歳になる2010年時点では、ゴールドマン・サックスの超高速取引部門でアナリストを務めていた。

キャスリーンが自分より8歳も年下だとアーサーが知ったのは、しばらくたってからだった。認識論と数学に関する彼女の研究が、大学院生のものとしては正直幼稚だと指摘してわかったことだ。キャスリーンは悔しさをぐっとこらえた。アーサーは彼女の若さを気にしなかった。重要なのは、彼女が自分と同じくらい頭の回転が速いことだった。ふたりは一般には傲慢さととられがちな、お互いの自信たっぷりで率直すぎるところを認め合っていた。

その年の秋にコーネル大学へ転籍したキャスリーンは、授業をうまく調節し、できるだけ多くアーサーと町で会えるようにした。彼と過ごす時間のほうが、講義よりもはるかに実になったからだ。アーサーはというと、夜中に珍しいタイプの吊り橋の橋脚に関する本を読んで居ても立ってもいられなくなり、その原理を自分で確かめてみたりした。「オナガー」という古代の投石機を再現しようと、ふたりで仲むつまじく、楽しい週末を過ごしたこともあった。アーサーは、キャスリーンの正確でエネルギッシュな思考に期待すると同時に、自分よりはるかに強く、快活な彼女への胸のときめきも感じていた。

キャスリーンが大学を卒業した週末に、ふたりはフランスへ飛んで結婚式を挙げることになる。名高い「ハリーズ・バー」でお酒を飲んだ後、アーサーはキャスリーンをコンコルド広場のベンチへ連れていき、小さな箱を渡した。開けてみると、中の指輪は上下逆さまになっていた。「これ以上ないくらいアーサー的な出来事だった。すごく頑張った何かを、最後にささいなミスで全部台無しにしてしまう」、そうキャスリーンは言う。

ブロックチェーンと出合う

数学とコンピューター科学、経済学を学んできたアーサーが、橋脚や昔の投石機だけでなく、ビットコインに夢中になったのは自然な流れだった。最初にビットコインを買ったのは、ほとんどの人がまだビットコインなど聞いたこともなかったときで、キャスリーンがうまく話を合わせて受け流せるようになるほどまでに、アーサーは仮想通貨の話をしつこく喋りまくったものだった。

ビットコインの資料も読みあさった。信用機関のサーヴィスに仲介料を支払わずとも、価値を保持し、ある場所から別の場所へ移す方法として、ビットコインは間違いなく素晴らしいものだった。しかし、難点と限界もあった。ふたりはやがて(キャスリーンのよく言う「趣味が高じて」)、ビットコインの基盤となるテクノロジー、つまりブロックチェーンのほうがはるかに有望だと知ることになった。

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ブロックチェーンがそもそもなんなのかについては、いまだに混乱と議論があり、なかには無意味なバズワードだと言う人もいる。ただ標準的な定義としては、ブロックチェーンとは、共有され、分散化した、暗号によって安全が確保された、改変不可能のデジタル台帳ということになる。

もっと一般的な言葉を使うなら、ブロックチェーンを使うことで、見知らぬ人同士が集まってひとつの事案に合意し、その合意に基づいて物事を一緒になって前に進められる。ビットコインで使われているブロックチェーン技術は、銀行という名の強力な仲介者の代役を務めるものだが、理論的には、ブロックチェーンは信用調査機関やソーシャルメディアサーヴィスなど、随時刷新されていく記録を守るために存在する、あらゆる機関にとって代わる力をもっている。

わたしたちはそうした集権化した事業体に、手数料というかたちで、さらには生活に及ぼす支配力というかたちで、相当な代価を支払っている。しかしブロックチェーンを使えば、理論的には、調整手続きという複雑な問題を解決する新たなチャンスを手にしつつ、その過程で現行の仲介業者に価値の多くを抜き取られることはなくなる。

もちろん、もともとはインターネット自体がそうした場所だった。つまり、コラボレーションの大きな可能性を秘めていたにもかかわらず、結局インターネットは、アマゾンやフェイスブック、グーグルといった超強力な独立信用機関を新たに台頭させた。

そんななかでブロックチェーンは、真の分散型世界を実現するという、陽の当たる丘へ至る道を指し示していた。実験的な試みがまとうざわざわとした興奮が、特別な瞬間が訪れていることを感じさせるなか、起業家とサイファーパンクが寄り集まって緩やかなカルチャーをかちちづくっていった。

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神サトシ・ナカモトと神童ヴィタリック・ブテリン

アーサーとキャスリーンのブライトマン夫妻は、その動きを注意深く見つめていた。ブロックチェーン黎明期のイノヴェイターのほとんどは、オリジナルのソースコードを流用し、そこに自分好みの修正を加え、自分版ビットコインを独自の仮想通貨として世に送り出すことに終始していた。まるで、既存の種のDNAを改変しただけなのに、新たな系統樹をつくり出したかのように。

アーサーとキャスリーンにとって、こうした「カンブリア大爆発」は無駄の極みだった。仮想通貨の進化のプロセスは、機械を使って整理、スムーズ化したうえで、最良のかたちで巨大な統一プロジェクトにまとめあげるほうがはるかにいいに決まっている。

ビットコインにはそれができなかった。本名かもわからないビットコインの発明者、サトシ・ナカモトは神として君臨していたが、姿を現すことは決してなく、その伝道者たちは、ビットコインについてためらい気味に意見を言うことしかできなかった。ビットコインは、改革ではなく分裂によってのみ、前に進んでいた。

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アーサーとキャスリーンが、2013年晩夏の結婚式という中休みも入れながら、ブロックチェーンの未来について討論を続けるなか、ビットコイン初の本格的なライヴァルが地平線の彼方から姿を現した。2014年1月、19歳のロシア系カナダ人の神童、ヴィタリック・ブテリンが、イーサリアムという名のブテリン版ブロックチェーンの概要を示したホワイトペーパーをリリースしたのだ。

イーサリアムは、単に分散型の銀行というだけでなく、分散型のワールドコンピューターで、イーサリアムが自動的に実行するプログラム、通称「スマートコントラクト」を使えば、単にお金を移動させる以上のことができた。例えば、保険会社を経営したいなら、保険料を受け取り、保険数理を自動化し、請求額を支払うプロセスを、ピンハネなしで行なえた。

アーサーはイーサリアムのコードベースをまるごと印刷し、その春の新婚旅行へ持って行った。そしてボツワナのオカバンゴ・デルタにあるサファリで解読にふけり、ゾウを見飽きたらそちらに目をやった。

アーサーから見て、イーサリアムは自分が想像していたものに恐ろしいほど近かったが、参加型ガヴァナンスのシステムが足りなかった。ビットコインよりも柔軟だったが、アップデートはブテリン率いる開発チームが配布していた。ビットコインと同じように、そのアップデートが気に入らなければ、マイナーにできることはふたつしかない。更新を受け入れるか、それともコードを「フォーク(分岐)」させて自分の道を行くか。

アーサーは、ライヴァルになることを決意した。本当の分散統治に必要な規定を備えた場所、固定化した権力と支配体制がついに崩壊し、競争力と個々の長所が報われる新たな秩序を備えたコミュニティをつくり出してみせる。キャスリーンは懐疑的になったり、乗り気になったりを繰り返した末、最後にはこう励ました。「早起きの鳥は虫を捕まえられる。でもチーズにありつけるのは2番目のネズミって言うものね」

「最後の仮想通貨」

新婚旅行から数カ月がたった14年夏、アーサーはLM・グッドマンという偽名で2枚のホワイトペーパーを書き、ビットコインが静かなデヴューを果たしたことで有名なメーリングリストに投稿した(この偽名は、リー・マクグラフ・グッドマンを意識したちょっとした皮肉だった。グッドマンは、サトシ・ナカモトの裏の顔を暴くという誤報記事を出してしまった『ニューズウィーク』の記者だ)。

ペーパーで、アーサーは自身の考えるビットコインの欠点を述べ、さらにイーサリアムを実際にこのあとすぐ苦しめる問題を正確に予見した。そして、新しい怪しげな通貨がデジタル世界に溢れるだろうという、驚くほど鋭い読みも示した。そしてそのわなにはまらないために、「グッドマン」はTezos(テゾス)という名の新しいプラットフォームを提案した。

それは世界初の「自己修正する」仮想通貨であり、最新最高のアイデアをすべて盛り込んだ傑作だった。ペーパーはこう締めくくられていた。「新しいものをリリースすれば仮想通貨の分裂は避けがたく、それはわたしの本意ではない。しかしTezosの真の目的は、最後の仮想通貨になることである」

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ペーパーは誰にも見向きされなかった。モルガン・スタンレーに移っていたアーサーは、ブロックチェーンに関心を抱くさまざまな企業に自分のアイデアを解説したが、本人も認めるとおり、アーサーには悲しいほど売りこみの才能がなかった。

しかもTezosは、企業の中間管理職がブロックチェーン・ソリューション導入を上層部に訴えるような類いのものではなく、大規模なコーポラティヴ事業を支援するためのものだった。そのために必要な数のユーザーを集めるのは簡単ではない。ビットコインは何年もかけてゆっくり参加者を集めていったが、仮想通貨の分野はいまや制御不能なほど肥大化し、競争も激しくなっていた。通貨をつくっても、人が寄ってくるとは限らなかった。

目標2000万ドル

それでももうひとつ、斬新な選択肢があった。それはイニシャル・コイン・オファリング(ICO)と呼ばれる、クラウドファンディングを応用した分散型プラットフォームのスタート台だ。喩えるならICOは、アミューズメントパークのアトラクションの企画担当者が、革新的なジェットコースターの企画書を売りこみ、その「トークン(利用チケット)」をあらかじめ前売りして、集まった資金を元手に実際のアトラクションをつくるようなものだ。そして最終的にテーマパークは、来場者自身によって維持管理、改善されることになる。

ICOを使って中心となる団体にいったんお金を集め、それから中心のないコミュニティ実現を目指すやり方は、少し遠回りに見えても、ユートピアを実現する近道だった。ICOでは、つくる気もない架空のカジノの無価値なチップを不届きな輩が売ることもあるから、リスクはある。それでも、イーサリアムはこの方法でトークンを売り、1800万ドルを集めた。そして、最盛期には1350億ドル規模にまで膨らむ活気あるミニ経済圏を生み出した。

世界各国のリバタリアンの集まりに参加するなかで、アーサーは、イーサリアムの資金調達を主導したスイス在住の南アフリカ人、ヨハン・ゲーヴァースという人物と知り合っていた。ゲーヴァースの助言とサポートを得て、アーサーとキャスリーンは、イーサリアムと同じ道を行くことに決めた。

ふたりはできれば目標2000万ドル、それは無理でも、それなりのインパクトは起こしたいと考えていた。ところが驚いたことに、Tezosはその後、過去最大のICOになっていく。そしてプロジェクトが怨恨と訴訟の泥沼へと転落し、ふたりが各国で命を狙われているという突拍子もない噂まで出るなかで、驚きはあっという間に失望へ変わっていった。

ユートピアへの野望とともに始まったふたりのプロジェクトは、史上最大規模の仮想通貨スキャンダルに発展していったのだった。