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【講演】 決済のイノベーションと中央銀行の役割―ステーブルコインが投げかけた問題― 創立35周年記念FISC講演会における講演

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2019年12月4日

1.はじめに

本日は、金融情報システムセンター(FISC)の記念講演会で講演する機会を頂戴し、大変光栄に存じます。FISCは、1984年の設立以来、わが国における金融情報システムの安全性の向上と、金融サービスの高度化・効率化に多大な貢献を果たしてこられました。その長きに亘る活動に敬意を表しますとともに、この度、35周年を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。

さて、本日は、決済のイノベーションと中央銀行の役割について、お話したいと思います。

わが国では、個人間や個人と企業間の決済であるリテール決済において、近年、様々な変化がみられています。例えば、金融機関は、1年365日、1日24時間、夜間や休日を含めいつでも預金口座間の送金を可能とする「24/7即時送金」サービスを、昨年10月から顧客に提供するようになりました。これは、消費者のライフスタイルの多様化やeコマースの普及を背景に、より利便性の高い決済サービスに対する需要に応えたものです。また、消費者や店舗と決済事業者間のインターフェースに着目すると、スマートフォンやICカードなど、人々が決済サービスを利用できる媒体が大きく拡がっています。このようなキャッシュレス決済サービスの提供においては、金融機関に加え、情報技術などに強みをもつノンバンク企業――いわゆるフィンテック企業――など、多様な主体が関わるようになっています。この点も、近年の決済を巡る大きな変化と言ってよいでしょう。

この間、政府は、今年10月に、キャッシュレス対応による生産性向上や消費者の利便性向上の観点などから、キャッシュレス決済手段を使ったポイント還元策を導入しました。日本銀行の各地の支店からも、政府のポイント還元策がキャッシュレス決済の増加につながっているとの報告が複数聞かれています。

このように、決済を巡る話題には事欠きませんが、今年一年を振り返ってみて、決済関連のニュースの中で最も話題となったのは、フェイスブックが主導するステーブルコイン「リブラ」でした。ステーブルコインは、価格変動が大きく決済手段として使い難いとされてきた暗号資産(仮想通貨)の問題点を解決するスキームとして登場しました。これまで、各国で多数の民間デジタルマネーが登場してきましたが、リブラは、フェイスブックが築いた巨大な顧客基盤をベースに、独自の通貨建ての取引をグローバルに普及させるポテンシャルを持っている点で、これまでの民間マネーとは異なります。リブラのようなグローバルステーブルコインは、法的な明確性や技術の安定性が確保されれば、多くの人が利用する便利な決済手段になり得ますが、マネーロンダリング(資金洗浄)やサイバーリスク、データ保護、消費者・投資家保護など様々な課題が解決されないと、利用者はステーブルコインのメリットを持続的に享受できません。また、グローバルステーブルコインが普及すれば、金融システムや金融政策の波及効果にも影響を及ぼす可能性が考えられます。したがって、グローバルステーブルコインに関しては、G7の作業部会報告書でも指摘した通り1、様々な課題やリスクへの対応が十分整わないうちに、発行されるべきではありません。そうした認識は、G20財務大臣・中央銀行総裁会議でも共有されました。

この講演では、最初に、国際金融システムの安定性を確保するための「グローバルガバナンス」という視点から、公的当局のステーブルコインへの対応について整理したいと思います。クロスボーダーの資本移動が自由なもとで国際金融の安定性を維持するためには、各国当局が協調して国際的に整合性のとれたルールや規制を策定し、それをグローバルステーブルコインの発行主体に遵守してもらう必要があります。グローバルステーブルコインに対し、中央銀行も含め公的当局が適切に対応するには、ステーブルコインの取引規模の拡大が金融安定という国際公共財の供給チャネルにどのような影響を及ぼし得るかについて、しっかり把握することが重要になってきます。

これらの点を整理したうえで、既存のリテール決済サービスの改善に向けた課題について、次に述べたいと思います。ステーブルコインをはじめ民間部門のイノベーションが生まれる背景には、既存の決済システムの問題点――例えば、国際送金の費用が高く、着金までの時間が長いなど――が関係しています。したがって、新たなデジタルマネーの登場に対して、リスクや課題を強調するだけではなく、既存の決済システムに対しても改善を促していく必要があります。先ほど申し上げました通り、わが国では、新たな決済手段が登場し、顧客の利便性の改善につながる動きも出てきていますが、キャッシュレス決済が普及するには、なお課題があるように思います。この点について、本日の講演では、決済サービスの相互運用性という考え方を軸に整理したいと思います。

  1. G7 Working Group on Stablecoins, “Investigating the impact of global stablecoins,” October 2019.

2.グローバルガバナンスの視点からみたステーブルコイン

各国の規制・監督当局や中央銀行は、リブラのようなステーブルコインの構想に対して、各国単独で対応するのではなく、互いに協調して対応する必要性を強く認識してきました。その背景を理解するには、「金融トリレンマ」という概念が有用です2

  1. 2Schoenmaker, D, “The financial trilemma,” Economics Letters, 2011, vol.111, 57-59.

金融トリレンマ

金融トリレンマとは、(1)自由な資本移動による金融統合(financial integration)、(2)金融安定(financial stability)、(3)国内金融規制(national financial policy)の3つを同時に組み合わせることはできないというものです。どれか一つは諦めなければなりません。例えば、金融が統合された世界で、各国がそれぞれ独自の国内金融規制を維持した状況を考えてみましょう。規制が緩い国の金融機関は、リスクテイクを積極化させ、海外市場での投融資を活発化させます。また、規制の緩い国の企業や家計は、金融機関から(非自国通貨建てを含め)借り入れを積極化させます。こうしたレバレッジの拡大は、最終的には、金融の不安定化をもたらす可能性があります。つまり、このケースでは、金融統合(financial integration)と国内金融規制(national financial policy)の2つを選択すると、金融安定(financial stability)を犠牲にしなければならないということです。金融が統合された世界で、金融安定を実現しようとすれば、各国当局は国内金融規制を改め、国際的に整合性のとれた規制(globally consistent financial policy)にする必要があります。

グローバルステーブルコインは、世界中の顧客から集めた資金を見合いにトークンを発行し、集めた資金は政府短期証券や銀行預金など主要国の法定通貨バスケットにリザーブとして運用するというものです。ステーブルコインが国際送金手段として利用されることで、クロスボーダーの資本移動がより促進されます。これらの点を踏まえると、グローバルステーブルコインは、金融統合(financial integration)を深化させるスキームと言えます。したがって、グローバルステーブルコインの登場によって、金融が不安定化することを回避する――すなわち、金融安定(financial stability)を維持する――には、国際的に整合性のとれた規制(globally consistent financial policy)が必要不可欠です。今夏以降、グローバルステーブルコインへの対応について、各国の規制・監督当局や中央銀行が協調し討議を積み重ねてきたのには、こうした背景があります。

グローバル化した金融活動がもたらし得る利益は非常に大きく、民間主体には規制回避(regulatory arbitrage)のインセンティブが強く働きます。ある一部の国や法域でグローバルステーブルコインの取引が禁止されても、規制の緩い他の国や法域で取引が増えれば、その影響はストレス時などに国際金融市場全体に広く及びます。例えば、先進国でステーブルコインが普及しなくとも、新興国でステーブルコインの取引が増えれば、先進国の政府短期証券や銀行預金がステーブルコインの裏付け資産として増加していきます。しかし、ステーブルコインに対する信頼や評判が損なわれたり、あるいは裏付け資産の価値が低下した場合などには、顧客がステーブルコインの償還――すなわち、法定通貨への換金――に集中する可能性が考えられます。コインの発行主体は銀行預金を急激に引き出したり、政府短期証券の売却を余儀なくされ、このことが先進国の金融市場のボラティリティや脆弱性を高めるよう作用すると考えられます。

こうしたリスクを緩和するには、ステーブルコインの発行主体の規制回避を抑制するよう、各法域の規制・監督体制を互いに整合的にしておく必要があります。また、合法かつ健全な資金取引は、金融安定や金融統合の大前提であり、AML/CFT対策は各国間で整合的に運用されなければなりません。加えて、サイバーリスクやデータ保護、消費者・投資家保護なども含め、既存の規制領域を超えた、国際的な協調が必要となります。

公共財としての金融安定

ところで、金融の安定(financial stability)は、各国の企業や個人、金融機関が経済活動を行っていくうえで必要不可欠な「公共財」です。公共財には、ある主体の消費量が他の主体の消費量を制約することがなく、また、対価を支払わない利用者を排除することが困難である、という2つの特徴があります3。そして、公共財は消費をいくら増やしても、対価を支払う必要がないため、フリーライダー問題が発生し、市場に任せきりにしておいては、公共財は供給されません。金融の安定も、これらの特徴が当てはまると考えられます。このため、各国の公的当局(規制・監督当局や中央銀行)が、適切な規制体系の構築によるプルーデンス政策や金融政策の運営を通して、金融の安定や通貨価値の安定という公共財の供給に努めているわけです。

グローバルステーブルコインは、その価値を、主要各国の法定通貨の価値に紐づけて安定化を目指したものであり、いわば「国際金融の安定」という国際公共財――各国の公共財のバスケット――を活用したスキームと言えます。国際金融規制(global financial policy)とは、国際公共財の節度ある消費ルールと解釈するとわかりやすいと思います。グローバルステーブルコインの発行体は、公共財を利用して決済サービスを提供する以上、そうしたルールを遵守する必要があります。

もし、グローバルステーブルコインの発行体が、国際金融の安定という公共財を過剰に消費すると――すなわち、発行体のリスク管理能力を超えて、業容を大幅に拡大させると――、リスクが顕在化したときに、急激な資本移動を誘発するなど、国際金融市場にストレスを及ぼします。そうなりますと、中央銀行は最後の貸し手として流動性供給を行ったり、場合によっては政府が財政政策を発動するなどして、金融安定維持という公共財の供給のために公的当局は追加のコスト負担を余儀なくされる可能性があります。

過去を振り返ってみると、2000年代中盤にかけての「大いなる安定(Great Moderation)」の時期に、米欧の金融機関は過度なリスクテイクに走りました。金融機関に対しては、従来から規制が課されてきましたが、多くの先が同時にリスク認識を緩めたこと――すなわち、金融安定の持続を過信したこと――が、信用の増加と資産価格の上昇を相乗的に増幅させていきました。その後の国際金融危機をきっかけに、マクロプルーデンスの視点を取り入れた金融規制の体系が築かれていきましたが、これは、金融機関に対して、金融安定という公共財の節度ある消費ルールをより厳格化させたものと言えるでしょう。

国際金融危機後、金融機関に対する規制が強化される中で、「信用仲介」においては、銀行にかわって、投資ファンドなどのノンバンクが米欧市場を中心にプレゼンスを高めていきましたが、フェイスブックによるリブラの構想は、「決済」の面でも、銀行にかわって、ノンバンクがプレゼンスを高めようとしていることの表れとみることができます。信用仲介、決済いずれの機能を担うにせよ、銀行だけではなく、ノンバンクも、公共財の節度ある消費ルールを遵守する必要があります。

  1. 3経済学では、前者の特徴を「非競合性」、後者の特徴を「非排除性」と言います。

グローバルステーブルコインと金融版「共有地の悲劇」

ところで、公共財には、「ある人の消費量が他の人の消費量の制約にならない」という特徴があることを先ほど指摘しました。私が、空気という公共財をいくら過剰に吸い込んでも、皆さんの空気の消費量を制約することはありません。では、グローバルステーブルコインの発行体が、金融安定という公共財を過剰に消費することを私がなぜ問題視しているのか、皆さん疑問に思われるかもしれません。理由を一言で言えば、グローバルステーブルコインの取引規模が拡大すると、金融安定が「公共財」から「共有資源」に変容する可能性があるからです。

共有資源とは、対価を支払わない利用者を排除することが困難という点では公共財と同じですが、ある主体の消費量が他の主体の消費量を制約するという点で公共財と異なります4。漁業資源はその典型です。多くの主体が消費できる共有資源は乱獲されると、資源の枯渇を招くという問題があります。これは「共有地の悲劇」と呼ばれる問題です5。共有地である牧草地に、複数の酪農家が牛を放牧する場合、それぞれの酪農家は利益を増やそうと、より多くの牛を放牧するでしょう。牛が増えても共有地の広さは一定であるため、やがて牧草の再生力が失われ、土地は荒れ果て、全ての酪農家が被害を受けることになります。

グローバルステーブルコインは、こうした「共有地の悲劇」をもたらす可能性があります。中央銀行は、金融政策やプルーデンス政策を通して、金融の安定や通貨価値の安定という公共財の供給を行っています。一方、グローバルステーブルコインは、中央銀行によって供給された通貨価値の安定という公共財を活用したスキームであることは先に指摘した通りです。公共財の過剰消費によって、ステーブルコインの取引規模が拡大し、各国の法定通貨を代替するようになれば――すなわち、法定通貨とは異なる独自の通貨建ての取引が増えれば――、中央銀行の金融政策の波及効果が弱まります。そして、金融政策の効果が弱まれば、金融や通貨価値の安定という公共財の供給に支障を来すようになりますので、公共財を活用したステーブルコインの価値が不安定化するだけではなく、多くの経済主体の活動に負の影響が及ぶことになります。これは、金融版「共有地の悲劇」と言ってよいでしょう。金融安定は、グローバルステーブルコインの取引規模拡大により、公共財から共有資源に変容するのです。

グローバルステーブルコインによる法定通貨代替のリスクは、経済基盤が脆弱だったり、決済インフラが十分整備されていない国において、大きいと考えられます。そうした国々で法定通貨の代替が拡がり、金融政策の効果が弱まれば、実体経済や金融が不安定化し、その影響は先進国も含め他国に波及します。経済のグローバル化が進み、金融システムの相互依存関係が強まったもとでは、先進国の金融市場も不安定化するリスクがあります。この結果、国際金融の安定という国際公共財の供給が減少し、共有地の悲劇が起こり得るのです。

こうした悲劇も含めステーブルコインがもたらし得る様々な問題に対して、公的当局は内外の連携のもと適切に対処していく必要があります。

  1. 4公共財は「非競合性」と「非排除性」の双方を満たす財ですが、共有資源は「非排除性」を満たす一方、「非競合性」を満たしません。
  2. 5Hardin, G, “The Tragedy of the Commons,” Science, 1968, vol.162, 1243–1248.

3.リテール決済システムの改革

以上みてきたように、グローバルステーブルコインは国際金融システムや決済システムに大きな影響を及ぼし得るため、様々な課題やリスクへの対応が整わないうちに、発行されるべきではありません。一方、私ども中央銀行としては、民間のイノベーションを促進すべきとの立場にあることもはっきりと申し上げておきたいと思います。リブラに代表されるステーブルコインの構想は、既存の決済サービスにどういった問題があり、それをどう改善していくべきかという問いを社会に投げかけています。これは、決済システムの効率性・安全性の改善を責務とする中央銀行にとって、非常に重要なポイントです。国際送金コストの高さや金融包摂など、既存の決済サービスには改善すべきポイントがまだ沢山あります。民間部門のイノベーションは、そうした既存の決済システムの問題に着目して生まれてきていることを我々は認識する必要があります。

決済のネットワーク効果と相互運用性

改善すべきは、国際送金の高コストや金融包摂の問題だけではありません。主要先進国の国内リテール決済システムは、24/7即時送金サービス(fast payment service)の導入など高度化が進んでいますが、改善すべき余地はまだあると思います。この点は、グローバルステーブルコインがなぜこれほど世間の関心を集めたのかを考えると明白です。例えば、フェイスブックは、SNS事業で築いた20億を超える巨大な顧客基盤を有し、それがリブラの潜在的な顧客となります。決済サービスから人々が受ける便益は、決済ネットワークに参加する人が多ければ多いほど、大きくなります。いわゆる、「ネットワーク効果」です。巨大な顧客基盤を持つリブラのプラットフォームでは、ネットワーク効果が大きく作用すると考えられます。

ネットワーク効果の便益については、定量的な分析を試みる研究が数多くあり、有力な見方として、「メトカーフの法則(Metcalfe’s law)」があります。これは、ネットワークの価値は、ネットワークに参加するユーザー数の二乗に比例するというものです。実際、このメトカーフの法則は、フェイスブックのプラットフォームの価値を定量的にうまく説明できるという研究もあります6。こうしたネットワーク効果という点において、各国における決済事業者の顧客基盤は、リブラの潜在的な顧客基盤に比べると見劣りするように思います。

もっとも、ネットワーク効果が強く作用するプラットフォームは、ユーザーにとって高い便益をもたらし得る一方、プラットフォーマーが多くのユーザーを囲い込むことによって独占問題を引き起こす可能性があります。すなわち、ネットワーク効果が作用する場合、ネットワークに参加する利用者や利用店舗の数が一定の規模(クリティカルマス)を超えると、決済プラットフォームの規模が急速に拡大し、市場の寡占や独占につながる可能性が考えられます。ある特定の事業者がリテール決済サービス市場で強い支配力を持つようになれば、長期的には、価格体系の歪みやイノベーションの誘因低下を招くなどの問題が出てくるかもしれません。独占は、競争やイノベーションを阻害し、最終的には、消費者の便益にもマイナスの影響を及ぼし得ます。

このように、ネットワーク効果による利用者の便益と、競争・イノベーションによる社会全体の長期的な便益の二兎を追うことは一見難しいようにみえます。しかし、不可能ではありません。それらを両立させ得るのが、決済事業者間やプラットフォーム間の「相互運用性(interoperability)」です。複数のプラットフォーム間で相互運用性があれば、利用者は一つのプラットフォームにしか参加していなくとも、他のプラットフォームの利用者とも決済が可能になります。これにより、利用者にとっては、ネットワーク効果から得られる便益が大幅に改善します。相互運用性に基づいたネットワーク効果は、複数の決済事業者や複数のプラットフォームが協調して生み出すものであり、一つの決済事業者や一つのプラットフォームによって独占的に提供されるものではありません。銀行やフィンテック企業などの決済事業者は、相互運用性を確保することで、キャッシュレス決済の全体のパイを拡大させ、win-winの関係を築き得ます。また、決済サービスと他の金融サービスや非金融サービスを組みわせることで付加価値を生み出し、競争することが可能です。決済事業者はディスカウント合戦による顧客の囲い込み戦略から解放され、新たな付加価値をどれだけ生み出せるか、競い合うことができます。そうした競争がイノベーションを引き起こしていきます。このように、相互運用性の確保による決済事業者間の協調は、独占問題を回避しながら、一方で、競争とイノベーションとの両立を可能にします。

  1. 6Zhang XZ, Liu JJ, Xu ZW, “Tencent and Facebook data validate Metcalfe’s law,” Journal of Computer Science and Technology, 2015, vol.30(2): 246–251.

フィンテック企業の戦略

それでは、日本のリテール決済システムは、相互運用性という観点において、どのように評価できるでしょうか。そして、どのような課題があるのでしょうか。この点について、フィンテック企業と銀行の決済事業戦略という視点から、考えてみたいと思います。

まず、フィンテック企業の戦略です。フィンテック企業が運営する決済プラットフォームは数多くあり、事業者間の競争はかなり激化しています。政府によるポイント還元策の導入前から、複数のフィンテック企業においてキャッシュバックやポイント還元、加盟店手数料のディスカウントなど、顧客の囲い込みのための大胆な戦略がみられてきました。こうした戦略は、他業者よりいち早く、プラットフォームの規模を拡大させ、クリティカルマスを超えることを目指そうとしたものです。

各社の戦略は合理的な側面がある一方、巨大なライバルが存在する場合には、思ったほどの効果が表れず、体力消耗を余儀なくされるというリスクもあります。わが国において、キャッシュレス決済事業者にとって最大のライバルといえば、現金決済を支える銀行の店舗網やCD/ATM網です。日本の銀行の店舗やATMは、国際的にみて地理的密度が非常に高く――面積当たりの店舗数やATM数が多く――、利用者にとっては預金口座からの現金の引き出しが非常に便利です7。しかも、現金の便利さは、銀行の店舗やATMの数だけからくるわけではありません。CD/ATMが銀行間で提携している――すなわち、相互運用性がある――ため、利用者は、キャッシュカードの発行銀行以外の銀行のATMからでも、現金を引き出せます。

このように、わが国では、便利な現金のサプライチェーンがしっかり整備されているのに対して、フィンテック企業の提供する決済プラットフォームは、相互運用性という点で、現金ネットワークに比べ見劣りしていることは否めません。最近では、QRコードの共通化や加盟店の相互開放といった動きも一部でみられるようになりましたが、全体としては、まだ改善の余地があるように思います。

  1. 7日本銀行「決済システムレポート」、2019年3月

銀行のリテール決済戦略

次に、わが国の銀行のリテール決済の戦略ですが、大まかな共通点として、以下の2点を挙げることができます。

第一に、フィンテック企業に対して、顧客口座へのアクセスを認め、即時口座振替サービスを提供することです。顧客がフィンテック企業の決済サービスを利用するには、預金口座から事前にチャージしたり、即時引き落としをする必要があります。銀行の預金口座とフィンテック企業の決済サービスは、ある面で、コーヒーと砂糖のような補完関係にあります。すなわち、コーヒーに砂糖袋がついてくるコーヒーショップと、砂糖袋のつかないコーヒーショップを比べると、前者の方が好まれます。同様に、フィンテック企業の決済サービスに連動した預金口座を提供する銀行と連動していない銀行とでは、前者の方が利用者に好まれます。銀行が即時口座振替サービスをフィンテック企業に提供することには、他行との競争上、顧客の口座離れを抑制する効果があると考えられます。

第二に、フィンテック企業が運営するキャッシュレス決済サービスに対抗して、銀行業界が運営するキャッシュレス決済のプラットフォームに参加することです。フィンテック企業の運営するキャッシュレス決済が普及すれば、消費者や店舗などの顧客に対して、銀行は預金口座を提供するだけになり、顧客との接点が減少してしまいます。顧客の決済情報や店舗の売上情報などにアクセスするには、銀行が顧客と直接接点をもって決済サービスを提供する必要があり、そのために、銀行業界が直接運営するキャッシュレス決済のプラットフォームに参加しようというわけです。これは、銀行の提供する決済サービスとフィンテック企業が提供するサービスは、コーヒーと紅茶のように、代替競合する側面もあるということを意味しています。

各銀行にとって、これら2つの戦略は、他行との競争上、そしてフィンテック企業との競争上、それぞれ合理的な選択と考えられます。しかし、多くの銀行が同じ戦略をとれば、いわゆる「合成の誤謬」が生じ、各戦略の効果を足し合わせても、1+1は2未満(1+1 < 2)という結果になる可能性があります。銀行は、フィンテック企業の提供する決済サービスを即時口座振替でサポートする一方で、銀行業界が運営するプラットフォームにも参加して加盟店の開拓を行っています。しかし、これらの決済プラットフォームの間で相互運用性が確保されていないため、金融機関はリソースを割いた割には、いずれのプラットフォームも大きく成長し難い、という側面があるように思います。

決済事業者間の協調

複数の決済プラットフォームが林立する中、相互運用性が確保されない場合には、フィンテック企業にせよ、銀行にせよ、決済事業者は競争に打ち勝つために、それぞれ顧客の囲い込みに必死になります。決済サービスの分断化が起き、ネットワーク効果も生まれない結果、顧客の利便性の改善にもつながらず、銀行もフィンテック企業も体力を消耗してしまう可能性があります。特に、日本のように、地理的密度の高いCD/ATM網が相互運用性を備え、利用者に現金決済の利便性を提供している場合、決済事業者がキャッシュレス決済の拡大を促すには、かなりの労力を要すると考えられます。フィンテック企業や銀行など各事業者がばらばらにキャッシュレス決済に取り組んでも、容易には拡大しないものと思われます。

そうであれば、決済事業者が、デジタル円のネットワーク効果を最大化するよう、互いに協調する――つまり相互運用性を確保していく――ことは有力な選択肢になります。決済事業者間の協調には、銀行間、フィンテック企業間、そして、銀行とフィンテック企業間と様々な形態が考えられます。決済事業者にとって、相互運用性は互いに他を利するだけのものという印象があるかもしれません。確かに、相互運用性の導入によっても、キャッシュレス決済のパイが拡大しなければ、決済事業者間のパイの奪い合いを強めることになるでしょう。しかし、決済事業者間や決済プラットフォーム間で相互運用性が確保されれば、利用者の便益が高まるため、キャッシュレス決済の利用が増え、そのパイが全体として拡大します。その結果、決済事業者全員が潤う、win-winの関係を築くことができると考えられます。

実際、ネットワークにおける相互運用性が、そうしたwin-winの関係を事業者間にもたらすことは多くの調査・研究によって示されています8。また、この点は、我々にとって身近な事例からも確認できます。例えば、PASMOやSuicaといった交通系ICカードの相互乗り入れです。相互乗り入れは、利用者の利便性を格段に高めた結果、交通系ICカードの累計発行枚数は今や一億枚を優に超えるに至っています。そして、利用の都度に切符が不要になったことは、利用者はもちろんのこと、交通事業者にとっても、メリットになっています。具体的には、駅員や乗務員の切符や運賃、定期券等を確認する作業が省力化され、乗降時間の短縮による定時性・速達性の確保や、人的負荷の軽減、人員配置の最適化を図ることが可能になったと言われています9

また、銀行業界の歴史を振り返っても、相互運用性に関して興味深い実例があります。CD/ATMの銀行間提携です。1980年に、都銀は、上位行グループと中下位行グループの2系統に分かれて、オンライン提携を始めました。これは、当時、中下位行が「一本化すれば預金口座を上位行に移され、中下位行は機械を使われるだけ」として、上位行との統合に反対したためと言われています10。しかし、都銀各行共通のライバルである郵便貯金の全国オンラインネットワークが稼動することを踏まえ、都銀2系統間で統合の機運が高まり、1984年から両者を統一して、新たに、都銀キャッシュサービス(BANCS)がスタートしました。その後、都銀と地銀の業態間提携サービス(MICS)も稼動しました。こうしたCD/ATMの相互運用によって、いずれかの金融機関が割り負けしたとか、いずれかの業態が割りを食ったというようなことはなく、多くの金融機関において預金の取り扱いが増え、互いにwin-winとなり、利用者にとっても利便性が改善しました。そして、これが、現在の現金決済の利便性につながっているのです。

こうした事例をみると、日本のリテール決済サービスの改善を図っていくうえで、相互運用性の確保が非常に重要であることがわかります。キャッシュレス決済の普及には、消費者や店舗など利用者にとって決済がストレスフリーであること――すなわち、ストレスレス決済であること――が大前提であり、決済ネットワークの相互運用性はその実現に必要不可欠な要素です。具体的には、決済プラットフォーム間の相互接続や決済事業者の共通プラットフォームへの参加、決済端末の共通化、これらに必要な技術仕様の標準化、加盟店の相互開放など様々な選択肢が考えられます。

海外に目を向けても、相互運用性は、キャッシュレス決済が普及している国の共通点といえます。例えば、顧客の預金口座番号と携帯電話番号を紐づけた共通データベースを銀行間で活用し、顧客に携帯電話番号を用いた24/7即時送金を可能にする決済システムが多くみられます11。また、フィンテック企業などノンバンクが銀行と一緒に同じ決済システムに参加するといった事例もみられるようになっています12。グローバルステーブルコインの構想が投げかけている顧客利便性の改善ニーズ等を考えると、わが国でも、こうした取組みの可能性について真剣に議論・検討を行っていくことが求められているのではないでしょうか。今後、関係者間で積極的な協議が進められていくよう、呼びかけていきたいと考えています。

  1. 8Benson, C and S Loftesness, “Interoperability in Electronic Payments: Lessons and Opportunities,” CGAP, 2012.
    Clark, D and G Camner, “A2A Interoperability – Making Mobile Money Schemes Interoperate,” GSMA, February 2014.
  2. 9国土交通省「交通系ICカードの普及・利便性拡大に向けた検討会 とりまとめ」、2015年7月
  3. 10読売新聞「『自動支払い』どの都銀でも」、1983年2月19日
  4. 11日本銀行「決済システムレポート」、2019年3月。レポート内のBOX1を参照。
  5. 12例えば、香港では、2018年に稼動開始した24/7即時送金システム「Faster Payment System」に、主要銀行のほか、電子決済サービス事業者(フィンテック企業)も参加しています。

4.おわりに

以上、本日の講演では、グローバルステーブルコインが惹起するリスクや課題、そして、リテール決済システムの改革の必要性について整理しました。

グローバルステーブルコインは、決済サービスを改善させる潜在力を持つ一方、その普及によって、各法域で自国通貨とは異なる独自の通貨建て取引が増えれば、金融政策の波及効果が弱まり、金融システムの安定も損なわれる可能性があります。このため、金融安定という公共財を供給する公的当局としては、民間部門のイノベーションを後押しするという視点に加え、自国通貨建てのデジタルマネーの利用を促進するということも重視していく必要があります。

この点に関して、中央銀行自身が、自国通貨建てのデジタルマネーを発行すべきかどうかは非常に重要なテーマです。既に多くの国の中銀で調査・研究が進められていますが、欧州などでは、民間主体が発行するグローバルステーブルコインへの対抗として、中銀デジタル通貨の発行へ向けた検討を加速させるよう促す動きもみられます。わが国では、現金流通高がなお増加していますので、現状、中銀デジタル通貨の発行を国民が求めているとは考えられませんが、将来、デジタル通貨発行の必要性が高まったときに、的確に対応できるよう、日本銀行は技術面や法律面での調査・研究を進めています13。また、中銀デジタル通貨の発行が金融仲介システムに与える影響などについても研究していく必要があります。

現在、フィンテック企業などのノンバンクや銀行が発行する円建てのデジタルマネーが多々ある中で、私どもとしては、中銀デジタル通貨に関する調査・研究を進めると同時に、こうした民間マネーの利用を促進していくことで、中銀デジタル通貨が目指す決済機能の向上を実現していくことが重要であると考えています。民間デジタルマネーの利便性を高めていくには、キャッシュレス決済の利用者の増加によりネットワーク効果が拡がっていく必要があり、同時にそうしたネットワーク効果は、一つの決済事業者や一つのプラットフォームではなく、複数の事業者やプラットフォーム間の相互運用性によって達成していくという視点が重要になってきます。民間デジタルマネー間の相互運用性が高まれば、一般受容性という点で、中銀マネーに近接し得るようになるでしょう。また、民間部門が競争と協調を通して、円建てデジタルマネーを普及させていけば、日本銀行は金融安定や通貨価値の安定という公共財の供給チャネルを維持することができ、それは国民経済全体にとっても望ましいことです。

日本銀行としては、わが国の決済インフラのコアシステム「日銀ネット」の運営者(operator)として、また、民間部門の対話を促す触媒役(catalyst)として、決済システムの効率性や安全性の改善に向けて引き続き取り組んでいく方針です。

以上で、本日の私のお話を終えることとします。ご清聴ありがとうございました。

  1. 13技術面では、分散型台帳技術などに関する調査・研究を進めており、欧州中央銀行(ECB)との共同研究「プロジェクト・ステラ」はその一環です。また、法律面では、仮に日本銀行がデジタル通貨を発行する場合に、どのような法的論点があり、それらについてどのような解釈が成り立ち得るか、検討を進めています。詳しくは、日本銀行金融研究所による「中央銀行デジタル通貨に関する法律問題研究会」報告書(2019年9月)をご参照ください。