暗号資産に開拓時代の西部を見る米SEC委員長

米証券取引委員会(SEC)のゲーリー・ゲンスラー(Gary Gensler)委員長は、暗号資産(仮想通貨)への監視強化を主張している。暗号資産業界を「ワイルド・ウェスト(開拓時代の米西部地方)と呼び、辺境資本主義の無法状態との比較を引き起こしている。

辺境と主流

例えとしては優れたものだ。暗号資産は紛れもなく、より大きな金融システムにつながっている。緩やかな金融政策と、潤沢にある安価なキャッシュのために、暗号資産は、市場をしのいでやろうとする投資家たちのポートフォリオの周縁に、確かに存在している。

しかし、暗号資産が地図上に存在するとしたら、それは市場がそのように仕向けたからである。現金預金の利回りはゼロに近くなる中、「リスクカーブ」はシフトした。株式が新たな預金口座となり、ミーム株は新たな株式、暗号資産はベンチャーキャピタルにとっての新たな投資先となっている。人々は預金するのに、見返りが必要なのだ。

自由な資本主義と暗号資産の関係は複雑なものだ。寛容に解釈すれば、暗号資産業界はそのリバタリアン的なルーツを大切にしている。実験は歓迎され、それには大きなリスクと報酬が伴う。だからこそ、規制にはしばしば、冷笑あるいは疑惑の眼差しが向けられ、「コードが法律だ」あるいは「ルールはより明確である必要がある」という態度の幅が生まれる。

「現在の暗号資産は、ワイルド・ウェストな辺境的なものと、主流の金融にとって必然的な未来の双方を象徴している。しかし、辺境で許容されるようなボラティリティとリスクの高さは、中心部では必ずしも許容される訳ではない」と、ウィラメット大学法学部のローハン・グレイ(Rohan Grey)助教授は語る。

アメリカで現在受け入れられている支配的な経済体制は名目上は資本主義だが、実際には、それからはるかに乖離したものだ。政府組織や選挙で選ばれていないFRB(米連邦準備制度理事会)が長年にわたり、市場での勝者を、時には直接的に選ぶ役割を果たしてきた。

規制はしばしば、強力な既得権益を守る堀のように扱われている。暗号資産がワイルド・ウェストであるとすれば、伝統的金融は近代初期西ヨーロッパの保護主義、縁故主義、退廃であろう。

規制と保護

対照的に暗号資産は、「自由企業」のお手本である。インターネットアクセスがある人なら誰でもが使える国際的金融アーキテクチャだ。年中無休で動き、流動性があり、ゲームのルールによって勝者と敗者が決まる。これまでのところ、仲介業者や中間での悪い結果はほとんど出ていない。

流動性危機が発生すると、人々は清算を受ける。企業は破綻する。取引所は崩壊。人々は、背負ったリスクに比例して損失を出す。これらは、ルールに従って市場の力が機能して起こることだ。人々は痛手を被るかもしれない。

「暗号資産分野は現在、銀行・保険・証券取引法による投資家保護と市場の監視抜きでは、誰かが痛い思いをするだけの規模になっていると思う」と、ゲンスラー委員長は、9月29日付のフィナンシャル・タイムズのインタビューで語った。「多くの人が痛手を受けるだろう」と。

暗号資産分野では最近、悪者やはっきりしない存在の者たちが他人の不幸から利益を出す事例が数多く発生している。いわゆる分散型プラットフォームはしばしば、宣伝されているよりも中央集権的であり、知識豊富な人たちがつけ込めるようなバックドアが残されている。そして急いで作られたコードはしばしば、意図しないエラーを多く抱えている。

例えば、分散型貸付プロトコルのPoly Networkから6億ドルを盗んだハッカーは、出来の悪いコードにつけ込んだ。しかし、ハッカーが盗んだ資産を返却するという奇妙な展開となった。詳細ははっきりしないが、関係者は合意できる解決策に漕ぎ着けたようだ。

そのようなことが、暗号資産の世界ではますます頻繁に起こっている。Poly Networkの一件では、ハッカーは金融当局に突き出されるのを恐れたのかもしれない。これはあり得る話で、そうだとすれば、規制の有効性の証拠となる。

しかしハッカーは、業界における評判に対して長く残ってしまうダメージを心配したのかもしれないし、盗んだ資金が取引所によってブラックリストに掲載され、使えなくなっていると気づいたのかもしれない。つまり、市場の力が働いたということだ。

同様の状況で、金融大手のシティグループとコスメ企業レブロンが関わった一件では、誤送金によってシティバンクが5億ドル近くを失った。

自由とリスク

MITで教鞭をとっていた2018年、ゲンスラー委員長は革新的な金融テクノロジーと規制を「結びつける」大切さを指摘。最近では、暗号資産の多くは証券である可能性が高いと発言し、2兆ドル規模の暗号資産市場の大半がSECの監視対象となると示唆した。

私はゲンスラー委員長が好きだ。MIT教授として彼は、サトシ・ナカモトのEメールを引用していた。彼は金融安定性と消費者保護を本当に心配しているようだ。彼は驚くほど一貫している。

MITでの講義においてゲンスラー委員長は、米商品先物取引委員会(CFTC)がイーサリアムの新規コイン公開について、「十分に分散化している」というあいまいで、事後的なただし書きの言葉を辞書に加えたとして、腹を立てていた。将来的に、他の暗号資産ベースのスマートコントラクト・プラットフォームに対して、不平等に基準が適用されることを恐れているのだ。

しかし、暗号資産は現行の経済システムから独立でやっていくべきであり、その力もあるという主張も可能だ。『エコノミスト』誌が先日主張した通り、市場における国家の役割は、財産権の保証である。

暗号資産は、その分野をブロックチェーンに譲り渡そうとする、壮大な実験なのだ。自分のウォレットの鍵を所有するということは、それに伴うリスクを引き受けることを意味する。

しかし、誰もがそれに同意する訳ではない。

「暗号資産は規制の必要性を示している。他のあらゆる資本主義の形態と同様に、非倫理的であることが利益を生むからだ。あらゆる警察は不愉快な存在だが、市民社会が許容するべき唯一の不愉快な存在は、金融警察だ」と、ブロックチェーン開発者ブライス・ウィーナー(Bryce Weiner)氏は話す。

ウィラメット大学のグレイ助教授は、暗号資産は現在、独自のルールに従って機能しているのかもしれないと示唆したが、それはいまだに隙間市場だからだと指摘。「『もう一度一から痛い目に遭って学び直したいから、歴史の痛ましい教訓を忘れるんだ』とでも表現できるだろう」と、グレイ助教授は語った。

ゲンスラー委員長は、暗号資産が単なる辺境ではなく、資本主義の中心的な存在になる日に備えているのかもしれない。

「一般的な人の退職後の生活の見通しが、現在S&P 500と関連するように、暗号資産の状況に関連していたとしたら、大幅な低迷は社会的に受容できないものとして、政府の介入につながるかもしれない」と、グレイ助教授は語った。

「純粋な」資本主義は無慈悲なものを約束するが、独自のルールに忠実だ。それが実際に試されていないのは残念なことだ。ワイルド・ウェストにおいてさえも。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:Gary Gensler Says Crypto Is a ‘Wild West.’ Others See Pure Capitalism