なぜスルガ銀行を持ち上げたのか
菅義偉官房長官、麻生太郎財務相など安倍晋三政権中枢の信任をバックに、金融界に変革を求め、モノを申してきた森信親金融庁長官が、7月に退任する。
在任期間は3年に及び、「歴代最強」と謳われたが、3年目に入ってからは、フィンテックの柱として期待をかけた仮想通貨で巨額流出事件が発生。「地銀の成功モデル」と推奨したスルガ銀行で発覚したシェアハウス事件など、躓きが目立つ。
強権発動を恐れ、森氏の顔色をうかがってきた金融界は、ホッと一息つき、「史上最低長官の罪を問え!」といった過激な見出しで森氏の「罪」を取り上げるメディアが現われるなど、バッシングが広がっている。
しかし、「事なかれ主義」が主流の「霞が関」のなかで、金融界再生のために腕を振るったがゆえの強権なら、批判されるいわれはない。
16年10月、森金融庁が打ち出したのは「フィデューシャリー・デューティー」だった。わけのわからない横文字なので一般化することはなかったが、「顧客本位の業務運営」という意味で、当たり前のことをいっているに過ぎない。
逆にいえば、旧大蔵省の横並びの護送船団方式をいまも引っ張っているのが金融界であり、そこに「顧客目線」を入れさせることで変えようとした。
なかでも顕著なのが地方銀行であり、検査局長時代、「森ペーパー」と呼ばれる地銀の収益構造分析表を作成。地銀に再編を促すと恐れられた。また、監督局長になると検査・監督体制の一体化に舵を切って、金融処分庁から金融育成庁へと変化させ、15年7月の金融庁長官就任で、懸案の地銀再生を本格化。合併と新たなビジネスモデル構築の二本柱で再生を推し進めようとした。
そうなると森氏が、個人向けのさまざまなローンを開拓、リスクを取る分、金利を高く設定し、貸出金利回り3・6%と他行がうらやむ業績を上げ、それも6期連続で増収増益を続けるスルガ銀行を、「地銀の雄」として推奨するのは当然だった。