仮想通貨に関する総合ニュースサイト「ビットプレス」

  1. トップページ
  2. >コラム・レポート
  3. >尾関高のクリプトポロジー
  4. >第2回:本源的な価値/An Aspect of Crypto-Currency’s Core Value

コラム & レポート

バックナンバー

尾関高のクリプトポロジー

第2回:本源的な価値/An Aspect of Crypto-Currency’s Core Value

■ペグ通貨/Pegged to Fiat Currency

 テザー社のUSDTは法定通貨の米ドルUSDにペグする仮想通貨として便利な存在である。しかしながら今やその信頼は崩壊の一歩手前にあるように見える。通貨には信用が必要であることのいい例として今後に注目したい。

ほとんどの投資家は、仮想通貨の世界に入るとき他人から仮想通貨をプレゼントしてもらうというようなことがない限り、法定通貨を対価として入る。いったん入ると次から次へと違う仮想通貨を渡り歩くこともできる。しかしほとんど人は、その価値の尺度として法定通貨を頼りにしているし、実際の生活のほとんどは法定通貨によって成り立っている。そういう人が仮想通貨を取引する場合、テザーは便利な存在である。これさえあれば法定通貨の価値を対価としながらも一切銀行送金を経ることなく価値の移転、変換が行えるようになる。テザーの存在を知った時、なぜJPYTとかEURTとかがないのかと不思議に思ったぐらいである。さらに言えば、なぜこれを銀行がやらないのだろうかとも思ったし、なぜこのようなサービスを民間に、それも信託スキームもない会社にやらせるのだろうかとも思った。



当然、これを銀行がやらない、あるいはやれない理由はいろいろ考えられるが、究極的に法定通貨にペグした仮想通貨を発行するのならそれはメガバンクか、国がやった方がいいと思えてならない。実際そういう動きはあちこちの国で始まっている。

MUFGとみずほは円ペグのコインを開発しているのは皆さんご存知だろう。これに期待する部分もある。しかし今のところはまだパブリックなものにはなっていない。もしこれがパブリックに使えるものになると、JPYT(円テザー)としての機能が期待できる。いったんJPYをJPYTに替えてしまえば、あとは銀行決済をすることなく世界中の誰にでも、24時間、365日、(たぶん)安価に、瞬時に送ることができる。さらにそのProofは銀行のサーバーが集中的に行うことで、現在の仮想通貨が抱える様々なリスクを大幅に回避することも可能だろう。あとは異なるプロトコルを同時決済するAtomic Swapの技術が確立しさえすれば、の話だがこれはBoAがFloat Accountと呼ぶ技術でサービス化を始めているようである。そうなると法定通貨も仮想通貨も決済の流れとしては違いがなくなる。逆にそれが実現するともはや「法定通貨の仮想通貨」は「仮想通貨」ではなくなり、法定通貨を違うプロトコルで送金するための単なる道具でしかなくなる。

つまりペグした瞬間にその仮想通貨は独立した価値を持たないのだから単なる送金為替でしかなくなるということである。

■集中が生み出す信用/Credit By Centralization

 信用の合理性は集中によって実現されると私は思っている。透明性と平等(情報の非対称性)が集中によって保たれるからである。しかし集中するとそこに権威とか既得権益が生まれる。「仮想通貨教」の信望者はそれを嫌う。これは相矛盾する。

普段我々は円を使うとき、あるいはもらうときそのお札の信用はどこから来るのかを気にしないが、おおざっぱに言ってそれはその国の政治経済そのものによって信用創造が行われている。その国の通貨発行量はその国のGDPに裏打ちされている。そしてそのバランスがインフレ率(デフレ率?)で調整されている。

一方仮想通貨はその価値を保証する国家がない。したがって仮想通貨は世界中の仮想通貨教信望者による美人投票的な価値創造にゆだねられているように見える。ようするに本源的な価値の源泉がない。しかし、世界中の仮想通貨投資家が法定通貨を対価として仮想通貨を購入した分だけは、仮想通貨にその価値が移転される。その価値を上回る分は間違いなくバブルである。例えば今世界中の国が自国の通貨を仮想通貨に交換することを1か月後に禁止すると告知したとしよう。その時あなたは売らずに保有を継続するだろうか。たぶんすべての人が仮想通貨を手放す。この時の理論的な収斂価格は、今まで投じられてきた法定通貨の価値総額分という事になる。以上は仮想通貨の本源的価値とはなんぞやという議論のひとつの例である。

仮想通貨の価値移転、所有者移転は分散台帳というプロトコルによってP2Pで行われるため、私は常にそれを送る相手を信用できるかどうかを自らの責任で判断しなくてはならない。これはかなりの精神的負担であり、リスクである。なにせ送金先の情報はアドレスしかない。QRコードで入力しないと怖くて送れない。さらに管理コストもばかにならない。送金手数料が安いじゃないかと言われるが、確かにそうだ。しかしその代わり個人が負担する管理コストとリスクは法定通貨の比ではない。それらを合算したらまだ法定通貨の方が安価である気がする。法定通貨並みの与信リスク管理、決済リスク管理、システムリスク管理をP2Pによる分散化のプロトコルが実現する方法はあるのだろうか。

■BTCとETHの決定的な違い/Critical Difference between BTC and ETH

 違いは挙げればいくつもあるが、上述の本源的価値とはという視点からみて決定的なのはETHにはSmart Contractがあり、Ethereumのプロトコルを使って毎日のようにICOが生まれ、Token Saleによる流動性が生まれている点である。ICOは、法定通貨を食らう。その対価としてコインを吐き出す。つまりそうした法定通貨による投資額がTokenの価値の源泉として多く混ざっている。仮想通貨教における基軸通貨はETH以外にないように見える。草はしょせん草であり一時的に腹は満たしても栄養はない。たとえWhite Paperの90%がscamであったとしても残りの10%が本物である限り、このETH主義は変わらないように見える。

一方BTCにはそうしたファンダメンタルな部分が皆無ではないのか。確かにいろんなお店が決済に使えるようにしつつあるのはBTCであり、市場の流動性はBTCがダントツであるように見える。だからといって本文の文脈でいうところの価値があるとは言えない。ETHに比べれば見た目以上にBTCのバブルぶりは群を抜いていると思える。なぜか。それはBTCに比べてETHの方が本源的な価値があるからではないのか。BTCを決済通貨として受け入れる一部のお店にとってこの相場は関係ない。決済が終わればすぐに円やドルに交換する限りあくまでも一時的な送金為替に過ぎない。

最後に、最近これを「仮想通貨」と呼ぶのは間違っているのではと思うことがある。逆に「仮想通貨」という名前を付けたことから大きな勘違いが生まれ、それが今の状況を生み出している気もする。サトシナカモトの論文をきっちり読んだわけではないが、かれの論文には「crypto currency」という言葉は使われておらず「Cash」という言葉が使われている。ちなみにタイトルは「Bitcoin : A Peer-to-Peer Electronic Cash System」である。ネットで誰でも読める。冒頭のAbstractだけを読んでも、そもそもの位置づけはP2Pで送金するプロトコルである。プロトコルの価値はそれが紐づく経済的価値と連動するものだが、なぜか今はこのプロトコルにバブルが乗っかっている。また、いつのころからか仮想通貨はアンチ中央集権的なイデオロギーのアイコンとして奉られているようにも見えるが、通貨にそうした思想が結合しているのは見ていて面白すぎる。

さて、ナカモト氏は今何を思うのだろうか。


プロフィール

尾関 高

尾関 高

Takashi Ozeki

1986年名古屋大学経済学部卒業。1988年サンダーバード経営大学院(アリゾナ州、米国)卒業。主に日短エクスコにて約9年間、インターバンクの通貨オプションブローカーを経験し、1998年からひまわり証券(旧ダイワフューチャーズ)にて日本で最初に外国為替証拠金取引をシステム開発から立ち上げ、さらに、2006年5月に、これも日本で最初にCFDを開始した。
その後米国FX業者でのニューヨーク駐在や、帰国後日本のシステム会社、米系企業を経て、現在は日本の金融システム会社勤務。そのかたわら、本業のみならず、FXや新たな金融市場、特に近年は仮想通貨の取引システム開発などを手掛けながら、それらにかかわる分野においても積極的に発信する。
著書:「マージンFX」(同友館、2001年2月)と「入門外国為替証拠金取引~取引の仕組みからトラブル防止まで~」(同友館、2004年6月)、また訳書「CFD完全ガイド」(同友館、2010年2月、著者:デイビッドノーマン)がある。

ニュースクラウド